前提として、全ての主張は正しいし、正しくない。

2020/12/13

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生きていれば、自ずと人は思想に染まっていく。

身近なところだと「どういう人が好きか」とか「どういう音楽が好きか」とかだし、「自由人」とか「保守的」とかいう言葉で、人をカテゴライズするときにも用いられている。

その考え方をより深めたときに、〇〇主義とか〇〇思想みたいなアカデミックな領域にいくんだろうし、よくある心理テストとかの〇〇タイプとかもこの例の一つだ。

自分だって、エニアグラムは楽天家だし、カテゴライズすると、自分の政治思想はリバタリアンだと思っていて、テクノロジーは世の中をよくすると信じているし、性善説を信奉している。

全ての主張は正しいし、正しくない

ここまで読んでいただければこの記事の大体の主張はわかっていただけたかと思うが、人間の思想・考え方には多様性があるため、

全ての主張は「ある人には正しく、ある人には正しくない」

このブログだってまさにそうで、「どうやったら幸せになれるか、楽しく生きられるか、ということを考えて、それを具現化していくサポートをしていく」というのがテーマなわけだけど、

そもそも幸せになるということを目的にしていない人だっているだろうし、幸せなんて一度も考えたことないしその必要すら感じてない人も多いと思う。幸せになるということをどうやったらいいのか考えて科学していく、ハックしていくみたいなスタンスに理解していただけない人も多いのではと思う。

また、自分自身の考える最高の世界観「夢を見続けられること、幸せになることが当たり前の世界」だったり、そのために「個人の可能性を解放する」ということが正しいという前提で話を進めているけど、そもそもそこが違うという人もいるだろう。

ただ、今自分が考えていること、そして自分がこうして記事を書いて世の中に出していることは、自分にとっては紛れもなく「正しいこと」だ。

まとめ

だからこそ、感じて、疑って、自分で考えて欲しい。

ある話や主張を聞いたときに、ある事象や行動を見たときに、

自分はどう感じるのか?周りはどう感じているのか?

そして、その感覚をも、疑ってみるのだ。

その上で、何が正しいのかを自分で考える。

これをクリティカルシンキングだったり、メタ的思考と呼ぶ。

「幸せになるためにこうすればいい」と書いてある記事を疑い、

自分の頭で考える。こうすることで自分の中での軸ができ、ひいてはそれが自分の中での幸福状態の定義づけにつながり、「自分は幸せになるためにこう思う」というスタンスができる。

逆説的だけど、それこそがこのブログの目指している最初のスタート。

そして、それが最高の人生のスタートにつながると思うから。

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