積極的に社会性を捨てるならアホみたいに社会的になれ。

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攻撃的なタイトルになっちゃったけど、ほんとにそう思ってる。

個人的には「社会不適合者の矜持」って呼んでるんだけど、「社会を自分の側に捻じ曲げるくらいじゃないと、社会不適合者は自分らしくいきてはいけない」ってこと。

学校を想像したらわかりやすいと思うけど、全然勉強できない問題児と超頭いい優等生だったら、多分後者は色々大目に見てもらえると思うのよね。それって本当にそうで、「優等生ってだけで学校遅刻してきても疑われない」とか。

心理学的にはハロー効果っていうんだけど、これを言い換えると「中卒でニートやってて一念発起して起業」と「東大卒新卒マッキンゼー入社後起業」だと後者に投資したくなるよね?ってこと。例え、今は前者の方が血の滲むような努力をしていて、後者は普通にやってるだけだとしても。

とすればつまり、「組織に染まりたくない!」「社会を変えたい!」と言ってる積極的社会不適合者たち。彼らはとりあえず、「社会に染まって成果を出さないと自分の生きたいようには生きられない」というジレンマを越える必要がある。決して東大に行かないといけないというわけではない。全く興味がなかったとしても、「社会的にすごいとされていることを成し遂げるための努力をすること」は無駄にはならない、ってことを言ってる。

個人的には、でかいこと言っていた若者たちが消えていく理由、才能のあるアーティストが売れない理由、ただ優しいだけの男がモテない理由は、全てこれだと思っている。

彼らは全て、自分に負けているのである。
自分のポリシーに則ったこと、自分の好きなこと、やりたいことしかしないから、成果が出ない。もちろん消極的社会不適合者として食うために働く暮らしで良いなら別に努力なんてする必要ないし、すばらしい才能と運を持ち合わせて、自分の好きなことだけして圧倒的に成果が出る人もいるけど。

もし自分にすばらしい才能も運もなくて、でもせっかくのこの人生を最高のものにしたいと思っているのであれば、「社会不適合者の矜持」の考え方は持っておいて損はないと思う。

人は社会から逃れることは絶対にできないから。

それなら、そいつを仲間にしてしまった方がよくない?

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