命綱をつけて、山を登る。

Pocket

致命傷を避け、挑戦する

命綱をつけて、山を登る。
それは当たり前だと皆思うはず。だって、なかったら落ちた時死ぬから。

でも、リスクヘッジの比喩としての「命綱」だとしたら、つけずに山を登っている人は意外と多い気がする。
何故なら、生物的な死への恐怖心は本能的にあれど、社会的な死への恐怖はなかなか形成されづらいから。日々自分の行なっている意思決定の一つひとつが自分の人生を決めてるなんてこと、思いもしないから。命と同じくらい大事なはずなのに。

そう、だとすればつまり、命綱をつけて山を登るように、全ての意思決定にはリスクヘッジをかけることが重要ということだ。

避けるべき致命傷とは?


文字通りの致命傷の意味は「死ぬこと、心身をそのレベルにまで追い込むような傷」だと思うが、ここでは「キャリアが詰むこと(社会の第一線への復帰が困難になる)」つまり、社会的な死を避けるやり方にフォーカスしたいと思う。

致命傷に直結する失敗はそれほど多くない。犯罪とか生活費のための借金とか、連帯保証人とかリボ払いとか。

「なんとかなる!」で乗り切ろうとするのは危険。そのラインは人それぞれ違うし、なんともならないこともあるから。

「次は、背水の陣でやるしかない」っていうのはまずい状態、って思っても良いかも。正常な、合理的判断力を失ってる可能性ある。

もちろん、火事場のバカ力や追い込まれてからの集中力を否定するわけではないけど、人生がかかったオールオアナッシングの勝負で、「勝利ラインまで遠すぎて奇跡が起きないと無理」の状態だったら基本は一旦逃げた方がいい。

背水の陣の陣のような精神を否定しません。出資を募って起業するわけですから覚悟や責任を必要です。ただ、人から投資を受ける覚悟や責任と、個人の人生のリスクは全く別のものです。というか、これを統一することしかできない人は起業家には向いていないと思います。個人が抱えるリスクはそれぞれヘッジすべきです。企業はギャンブルではないし無謀な挑戦でもない。でも必ず成功する保証もどこにもないわけです。失敗ばかりを考えると言う意味ではなく、常に想定される状況だけ考えていくのは当たり前のこと。企業はよく山登りに例えられますが、切りたった高い崖に登るときに命綱なしで山を登る登山家はプロの登山家じゃないと思います。命綱をつけた上で、挑戦する。リスクを取る。

致命傷の避け方

致命傷を避けるにあたり、必要な考え方は「自分の内外に頼れる何かを持つこと」だと考える。具体的には、以下の2つだ。

①自身に強みを持つ(社会に認められる圧倒的なスキル、市場価値、オリジナリティを持つ)
②安心できる外的依存先をもつ(別の食い扶持を持つ、失敗した後を考える)

①社会に認められる、圧倒的なスキル、市場価値、オリジナリティを持つ

事業を作れる人になったり、資格を取ったり、専門性を高めることで、自分が強くなるのは致命傷を避ける上で有効である。

「絶対食いっぱぐれない」そういいきれるスキルが自分にあったらどんな挑戦だってできる。例えば、英語ができたら国内で仕事は簡単に見つかるだろうし、海外にいくという選択肢もある、SNSのフォロワーが多かったり、学歴がいいとかもそうで、簡単に社会的な死は訪れない。

②安心できる外的依存先をもつ(別の食い扶持を持つ、失敗した後を考える)

自分自身のスキルを高めることは重要だけど、それ以外の外的依存先はもっと大事。

「自立とは、依存先を増やすこと」って誰かが言ってたけどまさにそうで。
どれだけ自分のスキルをつけたとしても結局自分一人でできることはたかがしれているし、自分が折れたら全てのスキルは使えなくなってしまう。
なので、外的な依存先はたくさん作っておくに越したことはない。資産を分散して保管する考え方と同じである。

簡単な例だと、頼れる仲間や家族がいるということもそうだし、複数拠点を持つことや、いくつかの食い扶持を持つこともまたそう。「もし今の道で失敗してもこれで生きていける」という自信とビジョンがあると、簡単に社会的な死は訪れない。

致命傷さえ避けられたら、人生は怖くない

「成功するまで打席に立つことができれば、それまでの失敗は失敗ではなくなる」と誰かが言っていた。まさにそうで、致命傷さえ避けられたら自分の好きなことで人生を輝かせることは難しくないように思われる。スタートアップの経営などでも「死なないこと」が重要だとよく言われる。

「死ぬことさえなければいい」と思えたら人生はシンプルで面白いものになる。
ここまでに書いてきたことを意識しながら挑戦を続ければ致命傷を避けることはできるはずだから。

そして、その挑戦の過程で得られた自分自身の成長や仲間こそが人生の宝となるはずだから。

Pocket