新・社会的芸術論(自分がどう生きていくか、そしてなぜそれに意味があると考えるのか)

2018/09/09

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はじめに:トライセクターリーダーとは

まず前提として、今後の社会のあり方を考えた時に、「脱成長」という路線も十分に考えられうると思っている。

その「脱成長」論者の、日本における代表として藻谷浩介氏がいる。その主な主張を軽く理解するには以下の記事を参照していただきたいのだが、

この記事の中でも藻谷氏が「より良い社会になるために」、述べている「あるべき人材像の概念」として「トライセクターリーダー」というものがある。

トライセクターリーダーとはなんなのか、というと、上記の記事から引用すると、

トライセクター・リーダーとは、第1セクターである政治・行政(公共)セクター、第2セクターである企業(営利)セクター、第3セクターであるNPO・NGO(非営利)セクターという3つのセクターの枠を越えて活躍する、新しいリーダー像のことを指す。

つまり、「社会をより良くする」というミッションのもとに、異なった領域にまたがって、手段を問わずに活躍するリーダーである。

 

自分とトライセクターリーダー

様々な経験とファクト(診断結果やテスト)を元にはじき出した自分の強みとして、「思いやりベースの個別化に加えた顧客志向、友達想い」というようなものがあると考えている。

そして、そこから派生して「周りの人を幸せにしていきたい」というような責任感やリーダーシップ、そして、「より多くのより大きな幸せ」というような今の夢につながっているのだと考えている。

そう、自分の夢・ミッションとして「より多くの人がより大きな幸福を感じられる社会を作る」というものがある。

非常に抽象的なものではあるが、基本的に全ての行動をミッションにつなげていこうとするならばある程度の抽象度の高い目的の方が良いと感じている。

その上で、どのようなアプローチをしていくのかというある程度の選択と集中は必要ではあるが、絶対真理とも言える「幸福」というものを自分なりに定義し、そこに向けてのアプローチを柔軟に、手段にとらわれず目的ベースで考えていけるというメリットがある。

そういった抽象的な絶対目的である「より多くの人々のより大きな幸福」というものへのアプローチとして自分が掲げ、自分が期している将来像も、上記のような「トライセクターリーダー」的思考であると感じている。

 

なぜトライセクターリーダーが必要なのか

幸福には二種類ある。短期的幸福(Happiness)と長期的幸福(well-being)である。(参考:https://lightworks-blog.com/positivepsychology)

前者は快楽とも言い換えられるが、その短期的幸福を満たすものとして「アート」がある。

後者の長期的幸福を満たすものとして存在しているものは「ビジネス」と「アカデミア」と言えるだろう。

従って、その二種類の「幸福」を満たすためのへの手法として具体的に自分が挙げているのは、「アート」「ビジネス」「アカデミア」という三つの領域における連続的なインプットとアウトプットの結果としての理論形成と、その先にさらなるインプットとアウトプットを繰り返してのアクションというサイクルを回し続けるというシンプルなものである。

そして、そのルールに則って、この社会では「アート」「ビジネス」「アカデミア」へと最適に人材が配置され、それぞれのスペシャリストとして仕組みを回しながら生産を繰り返し、それぞれの領域における価値を提供するよう設計されているが、このシステムのボトムネックとして自分が考えているのはそれらの領域をまたがってミッションベースに考え、アクションする「トライセクターリーダー」的存在の欠如である。

その仮説をもとに、自分がこのブログを通して、そして自分の人生を通して達成していきたいと考えているのは、自分自身が「アート」「ビジネス」「アカデミア」の領域にとらわれずそれらをまたがって「幸福」という最終目的のための最適行動を選択できるような存在となり、そういった人々を増やしていくということである。(なぜならば、上記の理由により、それが幸福な社会の実現に向けて欠けているものであり、必要なものであると考えているからである)

そして、こういった考え方を広めていくためにも、既存のトライセクターリーダーという概念とも区別するためにも、(この「アート」「ビジネス」「アカデミア」という領域にまたがって活動するということは「トライセクターリーダー”的”」ではあるがトライセクターリーダーとは異なるので)このようなアプローチを「社会的芸術」と呼び、このようなアプローチをする人々を「社会的芸術家」と呼びたいと思う。

「社会的芸術」の命名理由としては、「アート」を芸術活動、「ビジネス」や「アカデミア」を社会的活動とするなれば、それらをまたがって活動している人やその活動自体を包括している概念としてそれらを芸術活動と社会的活動をそのままつなげてみれば良いのではないかという短絡的理由である。

 

具体的な「社会的芸術家」としてのアプローチ

その考え方は、自分が共感している考え方である、「スペシャリストではなく、学際的なジェネラリストを育成する」というICUのリベラル・アーツ教育にもマッチしているし、その考え方に沿ってみると、これまで自分がやってきた一見バラバラに見える、非効率的な行動(ビジネス領域でのインターンや、こういったブログを書き続けること、デザインの勉強や芸術を専攻した経験)も全て意味があったと認識している。”connecting the dots”である。

ただ、その一方で今後社会人になるにあたり、「自分」という存在の限界を認識し、自分がすべきことを認識した上で考え方やアプローチも多少変えねばならないと考えている部分もある。

具体的に言うなれば、

  1. ビジネス領域における自分の突き抜ける部分を設定し、そこで突き抜けるということ
  2. アート領域における目的ベースでのアウトプットと設計
  3. アカデミア領域における絶え間ないインプットとアウトプットの習慣づけ

である。

1.に関しては、新卒で人材系の企業に入社することが決まっているため、その領域において研鑽を続け、突き抜けるための努力と成果を出すという風に目標を設定している。

つまり、自分の主として関わる「ビジネスの業界的側面」のメインは人材・HR領域となると考えている。さらに具体化するなれば、自分の考える人材ビジネスの定義である、「生きる」ということに接続した「組織の在り方」や「働き方」の提示による人々の幸福に携わるということになることになる。

その理由としては、人材ビジネスが自分の関心領域・強みの領域に最も接続しているのではないかと考えているからである。

自分の関心領域・強みの領域とは、ばっくり言うならば「人の感情」であり、そこを切り口にビジネスに転換していくものはと言うと、(大変幅広いものではあるが、)「人材ビジネス」と言うものが最も近しいと考えているからである。例えば、最近加速している人材と心理学的知見を接続した例(レジリエンスやポジティブ心理学の組織への応用など)や人材とテクノロジーを接続した例(HRTechや感情や健康、人材配置のデータ管理など)などが挙げられる。テクノロジーやアカデミアの領域にも興味を持つ自分にとっては非常に刺激的なビジネス領域・環境である。

 

2. に関しては、働く中で身についていくであろう、そして現在までもわずかながら身につけてきた「ビジネスの能力的側面」を生かしながら、絶対目的である「幸福」の実現に向けて短期的幸福の充足である「アート」方面でのアプローチも重ねていきたいという意図があるため、それも実際にアクションを重ねていきたいと考えている。

そのモチベーションとなっているのは、「短期的幸福の実現も自分の夢の実現のためには必要不可欠である」という論理的理由のみならず、自分自身「人の感情」に興味があると上述した通り、「芸術」のような心震わすものに携わりたいというような、論理的には表現でき得ない欲求である。

 

3. に関しては、「学問」が本分であった「学生」という身分が終わった後も、(これまで学問に精を出してきたかはさておいて)アクションの根拠・ベースとなる理論づくりのために、インプットとアウトプットを積み重ねていくことは必要であると考えているからである。それはつまり、言い換えれば、生きる上で拠り所となる思想や信条を作り、変化させながら、固めていくということであり、それを日常に落とし込む上での理論に変え、実行のためのルールにしていくということである。

 

おわりに

つまり、

感情、思想、精神、心理、脳。

生き方、生活、日常。

人事、人材マネジメント、組織。

そこら辺はすべて繋がっているわけで。

アート、ビジネス、アカデミアといった領域を跨りながら、人々個人個人のそういった世界に働きかけ、システムやインフラに落としていくことで、社会全体としての「より多くの人々のより多くの幸福」を実現していくということ。

結局、俺がやりたかったのは、「人の感情」を切り口にトライセクターリーダー的に網羅的に社会をよりよくしていくということだったのだ。

 

おまけ

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