社会をより良くする方法〜社会的芸術家構想が世の中にとって有用である理由〜

2018/09/09

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はじめに〜社会をより良くする方法〜

そもそもの現代社会における人間の目的として

・家族と健康に末長く暮らす

・自分が幸せに暮らす

・家族と子供に良い暮らしを与えたい

というものがあると仮定すると、

社会の役割とは、そういった目的が最大多数にとって果たせる状況を作ることであると考える。

社会の仕組みとして、社会人と呼ばれる存在になればいくつかの義務を負うことで以上のような社会の形成に知らずのうちに寄与することにはなるのだが、そういった受動的な社会人のみでは社会の維持発展離されない。

そこで必要とされるのが能動的な社会人。いわゆる、政治家や起業家、投資家などの世の中の仕組みを作り、回して行くことに直接的に寄与して行く存在である。

国家や社会の健全な維持発展にはいかにしてこの能動的な社会人の層に、「効果的なソリューションを提供できる」という観点から見た「優秀」な人物を何人登用できるかによって決まってくると考える。

そこで、現代の社会にとって「効果的なソリューションとは何か」、そして「それを提供できるような人材とはどのような人材か」ということを考えた。

そこで浮上してきたのが「社会的芸術家」なのである。

 

具体的に、現代における「効果的なソリューション」とは何か

これを考えるにあたっては、前提として、

世界的には、

「人々は皆幸せになりたい」

「ただ、カオスな時代であるがゆえに、画一的な社会の形成・幸せの構築が難しい」

というものがある。

さらに、日本においては

「日本はバブル崩壊以降、地盤沈下が進んでいる。ガラパゴスであるがゆえに以前は強みだったものが時代にそぐわなくなっているとしても強烈な変化への必要性にさらされることがない」

(例えば、以上の事柄が顕著なのは、日本の教育と人材育成、労働環境。業界や会社、部署という縦割りの仕組みの中で人々が特に専門性も持たずにガラパゴスジェネラリストとして使われている現状とそのための人材を生み出すための教育や育成が行われている)

というようなものがある。

これらの事象を考えたときに、出てきた答えはシンプルで、

・そもそもまだほとんど触れられていないであろう「幸せ」というものを考え抜いて、そこに対する研究を進めること。(それがぶれているということは、「絶対目的」を知ることなく生きている/社会を作っているようなもの)

・それぞれの目的とすべき「幸せ」を仮置きすることができたらば、そこに向けて本質的な/目的思考的なアプローチを進める(「幸せ」を実現すべく、縦横問わず、領域問わず、アプローチしていく)

これらが現代に求められている「具体的なソリューション」であると考える。

 

では具体的に「それを提供できるような人材」とはどのような人材か

一言で言うと、「社会的芸術家」である。

こちらの方でも書いてはいるが、世の中の生産活動を「アート」「アカデミア」「ビジネス」に振り分けた時に、それらの中にスペシャリストはいるし、「アートとビジネス」や「アカデミアとアート」のように、それらを結びつけている人はいる。しかし、それらを領域横断的に飛び回りながら「幸福」と言う絶対目的のために行動していくというような人は稀有である。
「ジェネラリスト」や「リベラルアーツ」のように、現在でも近い概念は提唱されているが、それらを、「世の中を良くするため、幸福のため」という観点からより尖らせた概念が「社会的芸術家」であると言えるだろう。
つまり、そのような、「より多くの人のより大きな幸福」という絶対目的のために、能動的に、領域横断的に、アプローチしていけるような人間が求められていると考える。

おわりに

ここまでで、社会的芸術家構想が有用なものであるということが多少なりとも理解していただけていれば幸いである。
「納得」でなくてもいい。「理解」していただけていれば。
様々な反論があることは承知しているし、こんな単純な話でもなく、抜け漏れも多くあることも、承知している。
それでも、自分はこの考えこそ、有意義なものであると考えているし、自分にも合っていて、自分が社会に最も貢献できるやり方であると信じているがゆえに、「社会的芸術家」を目指して生きていきたいと思っている。
そして、その自分なりのやり方で道を作り、それを示し、それを残し、のちのより良い社会に貢献することができれば、大変幸せである。
それを目指して、今日もまた、やっていきます。
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