社会的芸術家としての尾崎豊ー全貌ー(2014年4月ごろ、西南学院大学2年在学時)
尾崎豊
• 尾崎の活躍した時代→1980年代
• 1980年代→学校は偏差値重視教育。学力格差が生まれ、「落ちこぼ
れ」が登場。校内暴力や非行の風が吹き荒れる一方、世間はバブルの
好景気に浮かれていた。
• 子供たちは何を信じればよいのか分からず、社会に疑問を抱いてい
た。
• 1982年、17歳でソニーのオーディションに合格。18歳でデビュー。まだ高校生だった。
「10代の教祖」
• 「10代の教祖」「若者の代弁者」→マスコミがファンの熱狂度合いの
高さと歌う歌詞の反社会的側面に着目し、尾崎につけた呼び名。
• 代表曲→「15の夜」「卒業」など
• 15の夜→1stアルバム「17歳の地図」に収録。窃盗や未成年喫煙の歌
詞が世間に衝撃を与えたと言う。
• 卒業→「不良」としてのパブリックイメージが定着することとなった
尾崎の代表曲。歌詞をまねて若者が校舎の窓ガラスを割るという事件
が多発した。
尾崎豊の反社会性
• 尾崎豊に反社会性はないと考える→存在したのは二面性。
• 小学校時代のいじめ⇄そこからの自力脱却。
• 中学時代の繰り返される非行、停学⇄3年間学級委員、3年時には生徒
会副会長。文化祭実行委員長。成績優秀。
• 高校時代も変わらず繰り返す非行、停学⇄課外活動(アルバイト、音
楽活動)
• 「15の夜」「卒業」の解釈→ 若者にとっての身近なテーマから掘り
下げ、不良、優等生に関わらず若者がぶち当たる疑問や抱く想いを歌
った。
二面性の根幹にある諦念
• 「40歳で生まれてきたんじゃないか」 尾崎のプロデューサー、須藤
晃氏はそう語った→年齢に見合わぬ達観、老成度合い。
• 学校、社会を俯瞰分析→同級生はもちろん、大人たちの心をも推察。
• 自分という軸を確保しながらも様々な世界に足を踏み入れる→二面性
の誕生。(いじめられながらも自力で脱却。普通の学生を演じながら
も音楽活動。優等生ながら不良。)
• 根本にあったのは素朴な疑問。
音楽活動の原点
• 小学校時代のいじめによる不登校→その間家にあったギターを練習。
• 家族の影響で俳句や詩を嗜む。
• 思ったことをノートに書き溜めるように。
• 中学一年の文化祭でみんなの前で弾き語り→「褒められたことが純粋
に嬉しかった」
• ノートに思いを書き溜めるだけでなく、音楽に詞をのせるように。
尾崎豊の誕生
• ソニーのオーディションに応募→合格。シンガーソングライター尾崎
豊の誕生。
• 若者の想いを代弁する歌詞に圧倒的なライブパフォーマンスなど、
様々な要素が相まってものすごい勢いでブレイク。デビューライブの
僅か1年後にリリースした2ndアルバムの「回帰線」でオリコン初登場
1位を獲得。
この頃の尾崎
• 普通の一人のティーンエイジャーとして生きる中で見えてきた、感じ
た疑問をそのまま切り取り、言葉に昇華。純粋に歌い上げる。→同年
代の若者たちの心をつかむ一方、一面的な曲解で反体制、反社会的側
面のみ強調される。
• ライブにかけるプロ意識、情熱的なライブパフォーマンス。その一
方、所属レコード会社が推進した「OZAKI」。(甘いマスクながら露
出は少なめに。クールかつミステリアスに売り出す。)→カリスマ的
人気を博す。(教祖、代弁者、カリスマといった呼称に繋がる。)
代表曲
• 15の夜
• 卒業
• 十七歳の地図
• 街の風景
• 愛の消えた街
• 僕が僕であるために
参考文献
• 尾崎豊(1985)「誰かのクラクション」角川書店
• 横山正美(1994)「尾崎豊 午前0時の十時架」幻冬社
• 須藤晃(1994)「時間がなければ自由もないー尾崎豊覚書ー」ソニー
マガジンズ
• KAWADE夢ムック(2001) 「尾崎豊」河出書房新社
• 尾崎豊(2012)「NOTES 僕を知らない僕」新潮社
POPな思想家。誰よりも「どうやったら楽しく人生を送れるのか」ということを考え続けてきた自信がある25歳。エニアグラムは「楽天家」。右脳・感性ベースのポジティブ思考、青春とエモいもの大好き人間。めちゃ思考するけど深みにはまらないのが強み。その強みを生かして、考えたことを社会を良くするために形にしていきたいと奮闘しています。