人は、一度巡り会った人と二度と別れることは出来ない(パイロットフィッシュ/大崎善生)

2018/09/09

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この本の存在を知ったのは、あるブログがきっかけである。
そのブログは、自分がブログを作るに踏み切ったきっかけにもなったし、
そのブログをきっかけに多くのことを知った。
そのブログとは、Hibilogである。

インターネットというのはまさに情報の宝庫であり、自分も多くの時間をこの世界の中で割いてきた。
賛否両論あれど、上手につきあっていけば大きな武器になるものだし、
いずれ近い未来、もうその未来はだいぶ現実味を帯びているが、
この世界に関する知識、スキルの有無が現実世界でも幅を利かせてくる時代がやってくるだろう。
Hibilogを運営している青木優さんは、この世界の中でうまく立ち振る舞い、現実世界とシンクロさせてきた好例の一人であり、
今個人的に最もお会いしたい方の一人である。

そんな方が紹介されている本だったのだが、少し惹かれるものがあり、読んでみた。

Unknown

【要旨】
人は、一度巡り会った人と二度と別れることはできないー。
過去と現在、勢いのあった若かりし日々と勢いを失いつつある今の自分の日々。
そのギャップに自然に対応できずに精神を破壊された友人や19年前に別れた元カノとの再会、上司の死などを機に、
主人公は過去と現在の日々を交錯させながら、人生の中にあるひとつひとつの出会いが、別れが、
人間の持つ感性が、愛が、やさしさが、そんな想いの人との交わりが今の自分を形作っているのだということに気づいていく。

【書評】
非常に素晴らしい作品だった。前評判としては、「村上春樹に似ている」とのことだったが、個人的には村上春樹の作品は「ノルウェイの森」しか読んだことはなかった。しかし、男女のひとつの愛からすべてのメッセージを紡ぎ出す。そんなスタンスには大変感銘を受けていた。そんな「ノルウェイの森」だが、「パイロットフィッシュ」もまた、大変素晴らしかった。

「どんなにうまくいったとしても結局は完璧な水槽などありえない。水槽というものは人間が作った限界のある世界であって、それはたしかに観念的なものを技術によってどのように成立させることができるかという実験なのである」

「いや、俺もそれにおそらくは誰だってそうなんだろうけど、高校時代から随分と好き勝手言ったりやったりしてきたよなあ。人を攻撃したこともあったし、傷つけたこともあっただろう。唯一自分に大切なのは感性であり、その感性を振り回して生きていけばいいと思いこんでいた。若いうちはそれでよかったんだ。だけどな、俺もいつからかそんな生き方をしている、あるいはしてきた自分に何か居心地の悪さを感じるようになった。勢いで言ったこと、したこと。若いころは、すべて時とともにきれいさっぱり消え去っていくものだと錯覚していたが、記憶は思ったように簡単には消えてくれない。感性の集合体だったはずの自分がいつからか記憶の集合体になってしまっている。そのことに何ともいえない居心地の悪さを感じ始める。今、自分にある感性も実は過去の感性の記憶の集合体ではないかと思って、恐ろしくなることがある」

「本当に偉い人間なんてどこにもいないし、成功した人間も幸福な人間もいなくて、ただあるとすれば人間はその過程をいつまでも辿っているということだけなのかもしれない。幸福は本当の幸福ではなくて、幸福の過程にしか過ぎず、たとえそう見える人間でも実はいつも不安と焦りに身を焦がしながらその道を必死に歩いているのだろう。どうであれ人間がやがて行きつく場所を誰もが予感しているのだとするならば、それはあまりにも空虚で哀しく、だからこそそのポッカリと開いた穴を埋めるために、きっと可奈ちゃんの管と摩擦熱が必要なのだろう。人間は一人であり、決してひとつにはなれない。しかし、ほんの短い時間かもしれないし幻想かもしれないけれど、きっと彼女にはそれができる。摩擦熱とはきっと、分け隔てのない優しさのことなのだから」

上記は、電車の中で読みながら、手をとめて思わずiPhoneにメモってしまった「パイロットフィッシュ」のなかに出てくる言葉である。
何故メモったのだろうか。それは自分の心に響いてきたからだろう。
では何故自分の心に響いてきたのか。

自分はまだ19である。今年で、20歳である。けれど、どこか焦っている。
あと2年ほどで一応社会人として社会に出て一人で働き、食べていくべき年齢となる。
なのにそれにむけて何の準備もできていない自分に。
いや、そうじゃない。自分の満足いくレベル、自分の満足いく形で社会に出て行く展望が見えない自分に焦っているのだ。

「お前、頭固いな」と言われたことがある。
すべてを頭の中で具現化、把握したがる性分のことを言われているのだろうと思う。
「現実は常に思考を越えていく」、そんなことを言っていた人がいた。それは真だと思う。
現実の荒波の中を自分の直感とセンス、感性で生き抜いてきた人からしてみれば、
自分は起こってもいない未来の不安に苛まれながら今をまっすぐ生ききれていないように思えたのだろう。

今を生きていないという言葉の視点を変えれば、たしかにそうなのかもしれない。
自分は確かに今を意義を持って生きてはいるのだが、その意義付けの対象がいつでも「だれかのため」「未来のため」なのだ。
本当に、自分の思うように。自分に今できることを。その言葉の表層上の意味通りに生きている人とは違う。

たくさんの人が生きているこの世界の上で、人との関わりの中で生きている自分たち。
人との関わり方は無限大にあって、やさしさという言葉のひとつひとつの解釈だって一人一人ちがったりする。
人と関わっていくことでしか生きてはいけないのに、心を満たすことはできないのに、その関わり方に答えはない。
その関わり方の手段に愛だとか友情だとかって名前を付けて、話して笑って涙して、心を通わせたという想いを共有できたという幻想を抱いては失って、忘れては思い出して。
最近トレンドなグローバル化だったり、情報化だったり、社会問題も、なにもかもすべてが根底には人間中心の視点から見てのものだし、そこには人がいて、人と人との関わり合いの中で、それを基盤に人がつくったシステムがある。
実に感性的な、ぼやっとしたものだけど、世界を、社会を、語ろうとしたときに、それはひとつの文脈で語ることができるんじゃないかなっていう感覚がある。

「パイロットフィッシュ」では、若い頃は感性のままに生きていたと主人公たちは言っていた。
自分も今は若いと言えるだろう。
自分も今は感性で生きているのだろうか。
そして、いつかはそれを失っていく日がくるのだろうか。

それはわからないけど、
もしそんなときがくるのなら、
もしもそれが杞憂だとしても、
今はただ感性に任せて生きていきたいと思った。
そうやって生きていくことに、躊躇する理由はどこにもないから。

最後に、少年から大人へと変わる節目の時期にこの本に出会えたことを幸せに思います。

長いなー。
読んでくださった方、
ありがとうございました(笑)
もし興味惹かれたら、「パイロットフィッシュ」、読んでみてください。

Hibilog
http://www.aokiu.com

パイロットフィッシュ
http://www.amazon.co.jp/パイロットフィッシュ-角川文庫-大崎-善生/dp/4043740018

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