共同幻想論/吉本隆明

2018/09/09

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この本、知っていますか?
この作者、知っていますか?

自分たちの年代だと、大学の授業で取り扱ったり、
自分で意識して読もうと思わない限りあまり触れることはないと思われるので、
知らない人も多いかもしれない。

が、かつてこの本は日本の思想の主流を担っていた時期もあると言われるくらいの本で、
この本の作者は「戦後最大の思想家」なんて言われることもあるくらいの人。

まあ、要約するなら
よしもとばななのお父さんが書いたむずい本ってとこね。笑

【要旨】
この本が書かれた1968年にはマルクス主義が隆盛を極めていた。
経済こそがすべてだと語るマルクス主義に対して吉本は
「経済的範疇は部分に過ぎない、基本的な要素ではあるが、あくまで部分なのだ。
しかし現代はその部分を見て全体を見たかのように錯覚してしまうところがある」
とその論理に疑問を呈する。
その考え方に対抗するにあたって吉本が持ち出したのは「幻想」。

吉本は、「経済的範疇も、政治的範疇も、すべて全幻想領域※にすぎない」といった。
それはマルクス主義的に言うと「上部構造」であるが、既にいろいろな概念が付着しているその言葉は的確ではないと言う。
経済学でも、あるがままの現実の生産の学ではないのだ。
物質的な基礎が発達すればするほど、人間の幻想領域というものはかえって逆行したがるというような矛盾した構造ももちうる。
人間の全領域を掴みきること、そのためには幻想領域の内的構造の把握がかかせない。
全幻想領域的なものの見方だと、様々な問題を包括的につかむことができるようになってくる。
すると、それらは相互関係と内部構造とをはっきりさせていけばいい、そういうことが問題なんだ、今度は問題意識がそういうふうになっていく。
共同幻想という概念がなりたつのは人間の観念がつくりだした世界をただ本質として対象とする場合においてのみである。
我々が生きる現代社会には、現実的な課題と思想的な課題が並立している。
その大きな一例として、共同幻想と個体の幻想の関わり方がある。
人間はしばしば自分の存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされて様々な負担を作り出すことのできる存在である。
それは言い換えれば現実的な課題にうながされて思想的な負担をつくり出すというようなことに等しい。
共同幻想もまたこの負担の一種である。だから、人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。
この本の中では、原始的な世界において共同幻想が発現し、その共同幻想が国家の成り立ちに至るまでの、現在から数千年前までの世界における共同幻想の考察までで終わっている。
しかし、この世界の掴み方にひとつのあらたな気づきを与えるものであると信じている。

※全幻想領域とは。
共同幻想 国家や法
対幻想 家族や男女関係
自己幻想 芸術や文学

【書評】
自分がこの本を読み始めた理由は簡単。この本が尾崎豊の愛読書であったからである。
正直難しすぎて、面白みも感じられなくて、何度も挫折しそうになりかけた。
まだこの本を読むのは早すぎたんじゃないかと。
けどなんとか読み切った。こういうのが大事よな、うん。笑
読破して、またパラパラ見て、考えて、なんとかブログに書こうと思考を整理して。
そしたらいつの間にかめっちゃおもろいなこの本!とか思えるようになってきたわけ。不思議よね。

前回のブログの記事(「パイロットフィッシュ」のやつ)のなかで自分、
「最近トレンドなグローバル化だったり、情報化だったり、社会問題も、なにもかもすべてが根底には人間中心の視点から見てのものだし、そこには人がいて、人と人との関わり合いの中で、それを基盤に人がつくったシステムがある。実に感性的な、ぼやっとしたものだけど、世界を、社会を、語ろうとしたときに、それはひとつの文脈で語ることができるんじゃないかなっていう感覚がある。」
とか書いていました。それは結構自分の持論というかずっと頭の中にあることなんです。
そのことに関連してこの本の中で、要旨にも書いたのですが、
「人間の全領域を掴みきること、そのためには幻想領域の内的構造の把握がかかせない。全幻想領域的なものの見方だと、様々な問題を包括的につかむことができるようになってくる。すると、それらは相互関係と内部構造とをはっきりさせていけばいい、そういうことが問題なんだ、今度は問題意識がそういうふうになっていく。」
みたいなこと書いてて。これだー!と思いました。
人間は理屈じゃないんです。精神世界と物質世界、この両方を掴まねば本質は掴めないのです。
尾崎豊がこの本を愛読していた理由が分かった気がします。「真実」「真理」「正しいもの」「答え」そんなものを探し続けていた彼にとって、この本の中で示唆されていた新たな世界の掴み方で、世界の真理をも掴めるような気がしたのでしょう。
自分も、これまでぼんやりとあった個人的なものの見方を全幻想領域的なものの見方とこれから意識してリンクさせていきたいと思います。
その、この世界の常識からすれば新しい見方からこそ、いや、そんな見方からじゃないと、より良い、新しい未来は生まれないと思うから。

P.S.
難しいものを簡単に言うのが一番難しいんですよね。
難しいものを難しいままで言うこともまだできてはいないけれど。

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