スペシャリストとジェネラリスト

2018/09/09

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以前のエントリーにも書いたけど、俺、表現力とか創造力をつけたいなーって思って、
最近デザインの勉強もしててん。ソフト使って三角描いたり、丸描いたりってしてたんだけど、
それ見た友達に「それって遊びじゃね?」って言われてハッとした。

俺、常に日常の中で学んでるつもりだったけどそれは自己満だったのかなって。
たしかにそうやって学んだものが自分を形作り、後々生きてくることもあるだろうが、
それは費用対効果で見ると低い。というのも、学校の勉強のように成績に反映されるわけでも、
語学のように必要な能力としてダイレクトに反映されるわけでもなく、ましてやお金を生むわけでもない。
不必要なものに興味を持って手を出して、無駄な時間を食っているとも取れるわけだ。

「器用貧乏」って言葉があるけど、これは結構真だと思ってる。
スペシャリストは強いんだよね。なんだかんだ。
ジェネラリストはそんなスペシャリストの強さに憧れるもの。
ないものねだりかな。
自分はスペシャリストよりもジェネラリスト寄りだと思ってる。
三日坊主の極みやし集中力ないし、でも好奇心は強くて興味も広い。
かっこいいなって思う人もそんな人たち。

俺がせないかんこと、ジェネラリストがしておいたほうがいい経験は、
0→1を生み出すこと、そして一極集中一点突破の経験を持つこと。
だともやもやと思ってる。
そしてそこから自分の広い好奇心やたくさんの興味につなげていくこと。

じゃないとジェネラリストの価値は歳をとるごとにどんどん落ちていく。
若い頃はなんでもソツなくできる有望株として期待されるも、
広く浅くとやっていく中で既存の組織システムでは居場所がなくなっていく。
周りの同期のスペシャリストがどんどん追いつけないところまで行くから。
しいてはなんとなーくぶら下がってきたような人たちまである領域では自分を越えていくから。
若い有望株がどんどん出てくるから。

やばいね。
自分への戒めも込めて、何かしら感じ取ってもらえればと思って書きました。
がんばろ。
「ジェネラリストやな、自分」って思ってる人、頑張りましょう。

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