【夢で悩んでいる人必見】夢を持つことは当たり前ではないって話
はじめに
自分はこれまでこのブログでも、それ以外のプラベートでも「夢」というようなものに対してすごく敏感で、どちらかというと「意識高く」「熱い」みたいなキャラ設定で生きてきた。
それは全然間違っていなくて、まさに自分は、このブログでも紹介しているような「社会的芸術」という「夢」があり、そこから逆算して生きている。
でも、周りを見ると意外とそんなに自分みたいな人は少なくて。
その現実を客観視したことはなかったけど、客観的に分析し、その解決策まで提案している人たちに出会い、ハッとさせられたことをきっかけに、「夢を持つ」ということが普通のことではないということに気づいた。
ここではその気づきを与えてくれた参考記事、動画を参照しながら、あたりまえのようにされている「夢を持つこと」は決してあたりまえではないということ、そして「夢に向いていない人」のための処方箋について、述べていきたいと思う。
参考その1:なぜ夢以外の持ち物について語られないのか
TEDって、ありますよね。そう、海外のプレゼンの動画のやつ。
(知らない方はこちら→https://www.ted.com/talks?language=ja)
自分の通っている大学でも団体としてTED運営団体みたいなのがあるんですが、そこの開いたTEDイベントにGCMPという、途上国の開発教育領域で活動されている薄井大地さんという方がスピーカーとしてきていらっしゃってて。
「なぜ夢以外の持ちものについて語られないのか」というタイトルでお話をされていた。
詳しくはこの動画を見てもらいたいのだけど、
ざっとまとめると、
命題:「夢を持つのは良いこと。確かにね。ただ、夢は持たなくてはならないのか?」
夢を持てれば良いのは当たり前なのだけど、そういう人ばかりではない。そこで、
仮説:夢は持たなくても良い!趣味や使命感があれば。
夢以外に持ってて、楽しく生きていけるものとは。
薄井さんは「夢、趣味、使命感」と仮定した。
そして、もし、「夢、趣味、使命感」が全てコネクトされたら、それは大きな魅力となって大きなうねりを生み出す。その結果、最高に幸せな人生が送れるのではと感じているとのこと。
ただし、自分一人で夢が持てない人であっても、夢というものは他の人からおすそ分けされてくるし、その他の人に夢を見せてもらうことはできる。そしてそれを通して自分も気づけば夢を持っている。
「夢は、向かない人には向かない」
そう、夢は誰にでも向くものでもないし、一人で持たなくてはならないものではないのだ。
参照その2:ありたいひととやりたいひと
同じような疑問感を命題として書かれた記事にはこんな記事もあったりして。
こんなことを言ってる。
俺にはべつに「やりたいこと」ってないなあ。
将来どうなりたいか?っていわれると、
将来どうとかしらんけど、
とりあえず、いまも、みらいもずっとただ「しあわせ」でいたいなあ、
と、思います。その「しあわせ」って、目標に対して近づく・遠ざかるってよりも、
自分が「いま、こうでいたい」が満足しているかどうか、
なんじゃないでしょうか?つまり、世の中には
「やりたいこと」タイプのにんげんと
「ありたいすがた」タイプのにんげんがいるんじゃないでしょうか。
この記事では、人を「ありたい姿タイプ」と「やりたいことタイプ」の二つのパターンに分けて説明していてすごくわかりやすく、納得する。
最終的な結論としては、これら二つのタイプの人たちは異なる存在であり、「ありたい姿タイプ」の人は数多くいるにもかかわらず、「ありたい姿タイプ」現在の社会の根幹である「やりたいことタイプ」的な考え方に迎合しなくてはならないことはおかしい。との結論に至っている。
まとめ
結局のところ、この二つの論の議論の出発点は等しくて、
「夢は持てる人ばかりではない(頑張って持つ必要もない)」
「ただ、社会の方向性としては夢を持つことが素晴らしく、みんな持つべきだとの論調が強いのでみんなそこで悩みがち」
「では、その悩みを解決してしんぜよう!!」
と言ったところからのスタート。
前者は「夢というものに向いていない人にとって夢は一人で持つものでも探すものでもなく、強い夢を持つ誰かから受け取れるものである。また、趣味や使命感だけでも楽しく生きれるよ!」
といい、
後者は「ありたい人にとっては夢という概念は相性が悪く、相性が良い、最適な概念は①どういう状態だったらきみは幸せなの?そして、②それって何をやってると満たせるの(⇒何がやりたいの)?そして、③それってどうやったらできるの?といったフロー。」
といっている。
まとめると、「夢という概念が向いていない人にとって、」前者は、
夢→他の人からもらえる
夢以外の生き方→趣味や使命感
後者は、
夢→相性悪いのでいらない
夢以外の生き方→「ありたい人」として存在する。
といった感じかなあ、と。
どちらが正しいというわけでもなく、おそらく人によってどちらもあり得るのだろうと思う。
自分はどうなのだろうか
では自分はどうなのか、と考えてみた。
冒頭で自分は「夢と相性が良く」、「やりたいことタイプ」な人ではないのかと考えていたが、自分は同時に趣味や使命感もあり、そこに逃げる(というか没頭してしまう)こともある。だからこそいつも時間が足りていないのであり、「ただの意識高い系」と見られることもない。かといって「量産型大学生」でもない。いうなれば中途半端な存在だと思っている。
実際、「やりたいこと」だけではなく「ありたい姿」というのも自分の中では、比重はすごく大きい。
だからこそ、悩みも多く、苦しむこともあるのかと思うけども。
今回は基本的に「夢に向いていない人」に向けての処方箋を紹介したけれど、自分は「夢に向いてはいるけども、それ以外の生き方も大事にしたい人」というような欲張りジェネラリスト中途半端ジャンキーみたいな人たち(僕みたいなね)に対する処方箋を提示したいなあと思った。
それは自分自身に対する答えにもなるのだろうし。
そしてそれはきっと、自分は「社会的芸術」を目指す「やりたいこと」的な生き方の中で、自分も「社会的芸術家」として、自分の「あり方」も追求することで見えてくるかなあと思っている。
見えてきたらば、また書きます。
POPな思想家。誰よりも「どうやったら楽しく人生を送れるのか」ということを考え続けてきた自信がある25歳。エニアグラムは「楽天家」。右脳・感性ベースのポジティブ思考、青春とエモいもの大好き人間。めちゃ思考するけど深みにはまらないのが強み。その強みを生かして、考えたことを社会を良くするために形にしていきたいと奮闘しています。
[…] この記事でも書いた通り、理想に向かう上での基本的な考え方として、 […]