選択肢が多すぎて迷うこと

2018/09/09

Pocket

自分で言うのもなんだけど、俺はいつも何か考えている気がする。
考えて考えて落とし込んで、選択して行動していく。
だからって必ずしもこれは優柔不断っていうことに直結するわけじゃないと思う。
というのも、決断の早い人は基本的に自分の中での軸がしっかりしており、
決断を迫られる前に決断を済ませている人。だと思うから。

でもそれは実生活における選択においての話であり、自分のキャリアにおいての決断には迷う。
理想は実生活とキャリアをコネクトして、「息を吸うように働く」という状態に持っていくことだけど、
今この学生という時期においては、完全に自由に自分の裁量で自分を彩っていくことができるからこそ迷う。
そういうことだろうと思う。
わかんないしね、自分が何なのか、社会が何なのか、正しいものは何なのか。
すべては自分次第なんだろうけど、そんなこと言われても。って感じ。

この前のエントリーでも書いたんだけど、
学生ってのは、若いうちってのは、本当になんでもできる気がする。
本当に自分次第。
なりたい自分を想像してプロセスを構築して道を選択して切り拓いて頑張れば本当になんでもできるように思う。
でも、選択肢が多すぎて迷うんだよね。
想像する際にもそれは邪念となって襲ってくるし、プロセスを構築する上でも様々な選択肢があり、
道を選択し、切り拓く中でも常に選択肢は共にある。
選択肢が多すぎるってのは良くなくて、これはいろんな研究でも明らかになってるしいろんな人が言及してる。

確かに、なりたい自分を想像し、プロセスを構築して道を選択して切り拓いて頑張るっていうのが鉄板コースだけど、
かなりそれはハードルが高いものだなとも思ってる。
それはつまり、選択肢の中から完全に自信を持って絞り込み、選択し、たくさんの情報を得てそれを編集し、
プロセスを構築し、道を選択して切り拓いて頑張り続ける。というのはかなりのスキルと知識と意思と努力を必要とするから。

そんなことを思っていた時に尊敬するある人からかけられた言葉。
「自分のことばかりでなく、人のために何かできないかを考えろ。」
ちょうどその少し前に、別の尊敬してる人がこう言っていた。
「自分の中に自分っていうのはいなくて、相手の中に自分は作られていくもの」
スーーッと繋がった。

人生はコントロールことできるばかりではないと思う。
確かに上記に挙げたような、自分で努力を積み重ねていくことは非常に大切だしそれをしている人は結果をきちんと出している傾向が強いように思う。だけど、そうやって努力してる人以上に結果を出す人もいるし、努力しても結果に結びつかない人もいる。そういう運とか偶然と言われる場所の話はそういうことなんだろう。マインドの話。
自分のことばかりでなく、人のために何かできないかを考え、実践できているか?
自分を知り、人と繋がり、そういうスタンスで人と接すること。
そうしていくうちによい出会いに恵まれ、繋がり、広がり、自分のやりたいことができるようになっていく。
その先に気づけば相手の中になりたい自分が生まれ、よりよい自分が創られていくのだろう。
運は実力のうちということはこういうことなのかなと思う。

ここ最近の自分の迷い、思考のテーマとなっていた、
「選択肢が多すぎて迷うこと。」
このエントリーの前半で書いた、
自分の世界を突き詰めていくやり方の大切さは然れど、
そのやり方の広がりのなさをなんとなく感じていた自分に、
大切な人のお言葉が胸に刺さったというお話でした。

迷いぶっ飛んだなーー、なんか。
そんな気がしてる。きもちーー。

選択肢が多すぎて迷う時、迷う暇があったら人のために何かをする。
そして、できる時間の中で自分のできるやりたいことをすればいい。

自分はこれからのスタンス的にその突き詰めていくやり方をしていきながら、
「誰かのために何かできることはないか」その想いも胸に、バランス良く実践して、
うまく利他と利己を混ぜ合わせながらトータルに大きくなっていきたいと思います。

まず第一にあるのは利他です。

何か困ったら言ってください。

力になれることがあるならば、
なります。

Pocket