「社会的芸術家」という研究テーマについて(2014年夏ごろ、西南学院大学2年在学時)

2018/09/09

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ベンヤミンはかく語りき。

「上部構造の変革は下部構造の変革よりもはるかにゆっくりと進行する」

ここでいう下部構造は経済、政治などを中心として構成されるハード。
現代人間社会。
ここでいう上部構造は文化、思想などを中心として構成されるソフト。
芸術のことだ。

上記のベンヤミンの言葉は社会と芸術という一見相反するようなふたつの存
在の関係性をうまく言い表した言葉である。
安定した社会ありきの芸術であり、社会の動向は芸術に多大な影響を及ぼす。芸術家と呼ばれるような人々も、
生きて、芸術活動を継続してゆくためには社会という枠の中に組み込まれ、その中で結果を残してゆくことが求められる。

つまり、人間が暮らしているこの一般的な社会的プライオリティーから言え
ば上部構造は下部構造よりも低いものであるのだ。従って、上部構造の変革
は下部構造の変革の後にそれに影響されて起こるものであるのだから、「上
部構造の変革は下部構造の変革よりもはるかにゆっくりと進行する」という
のは真であるということが出来る。

しかし、下部構造の安定が盤石(と思われているよう)な時において時折そ
の上部構造と下部構造の力関係が逆転することがある。
また、一部の芸術家が、そのたぐいまれなる能力によって上部構造の立ち位置から下部構造に大
きな影響を与えるといったような事例も存在する。
もちろん、上記のような事例においても上部構造は下部構造に大きく依存することは間違いないし、
上記のような事例が発生するまでの過程において上部構造は下部構造からのサポート、バックアップを受けていることもまた間違いないのだが、上記のような事例が発生することは疑いのない事実である。

研究の意義

さて、ここで「表象文化」の意味を洗い出してみたいと思う。
この言葉は多くの分野にまたがり多様な意味を持つ、非常に掴みづらい言葉ではあるが、西南学院大学の表象文化コースに所属する私の拠り所にすべきは他でもない西南学院大学における定義であろうということで、公式ホームページから引用。

表象文化とは、「絵画、建築、写真、映画、マンガや音楽、舞踏など、人間の五感によって表象された対象すべてが『文化』」であり、表象文化コースでは「それを言語を使って論理的に分析・解釈・再表現したり、思想的、経済的、政治的にアプローチしていきます。」とある。

私は前回「社会的芸術家」という言葉について、「芸術の力で社会問題にアプローチ、社会変革しようとしている、あるいはしている芸術家」と定義した。
それは、言い換えると上記で述べた「一部の芸術家が、そのたぐいまれなる能力によって上部構造の立ち位置から下部構造に大きな影響を与えると
いったような事例」の、「一部の芸術家」のことである。
「絵画、建築、写真、映画、マンガや音楽、舞踏など、人間の五感によって表象された対象すべてが『文化』」であり、「それを言語を使って論理的に分析・解釈・再表現したり、思想的、経済的、政治的にアプローチしていく」のが西南学院大学国際文化学部の表象文化コースの学びならば、上部構造から下部構造にインパクトを与える存在であるこの「社会的芸術家」を研究するというテーマ以上にそれに合致するテーマは存在しないと言う自信を持ってこれからの研究に臨むことが出来ると確信している。

現代という時代は上部構造と下部構造の逆転現象が起こりやすい時代である。
発達したメディアと情報社会の恩恵により、上部構造的な立ち位置から人々の生活にアプローチすることは難しいことではなくなっているし、上部
構造が産業として経済的、政治的にも有用なものだと言う認識も広まってきているからである。本当に社会を変えるような「社会的芸術家」は希有な存在なのかもしれないが、社会にインパクトを与えることは以前よりも明らかに容易になっている。
上部構造は、下部構造と切っても切り離せない関係になっているのだ。
そんな中で、「社会的芸術家」のこれまでと現在、そしてこれからの展望を上部構造と下部構造の相関関係に着目しながら見ていくことで、自分の中でなにか面白いものが見えてくれば良いなと思っている。

これからの研究進捗予定
社会的芸術家の例として前回尾崎豊、伊勢谷友介、川久保玲を挙げた。
その他にも候補としてはボブ・マーリー、ジョン・レノンなどといった名前が自分の頭のなかにはあるが、アイドル文化を筆頭としたクールジャパン的な側面からも深めることが出来ると思っている。以上のように、広げていけばキリのないものだが、いくつかに分類分けした後にその分類をもとに研究をしていけたらと思う。
分類分けで言えば、最初に挙げた尾崎、伊勢谷、川久保の三人は近代的な状況の中で生まれた社会的芸術家の例になると考えており、ここを中心に考えていくのがベターではないかと思われる。ボブやジョンは時代背景が現代とは異なるし、あまりに上部構造に依存しすぎた彼らのその存在感たるやレジェンドレベルと言っても過言ではないため、他と関連させていくのは難しく、重要な研究対象であるが、中心として研究していくには向いていないと思われる。
位置づけ的には、例えて言うなら経済学を学ぶにおけるアダム・スミスやジョン・スチュアート・ミル。古典である。
アイドル文化、クールジャパンといった存在は最も現代に近いし、社会へのインパクトも大きいが、下部構造への依存度が大きすぎるため、「社会的芸術家」と呼ぶのには抵抗が拭えない。これもまた重要な研究対象ではあるが、中心として研究していくには向いていないだろう。
  

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以上の図はそれぞれの上部構造、下部構造への依存度(以下構造依存度)を
簡単に示した図である。

上部構造的立ち位置にいながらプライオリティー的に勝る下部構造に依存し
すぎることなく対等に存在し、うまく下部構造の恩恵を受けながらも芸術作
品を創造。そしてその上部構造における活動で下部構造にインパクトを与え
るという、尾崎や伊勢谷、川久保、「社会的芸術家」を中心に据えて、異な
った構造依存度の芸術家たちとの比較等も交え、様々な分野の時代背景も踏
まえながら、研究を進めていきたいと思う。

参考文献
ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」
西南学院大学公式ホームページ

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