【Wism】③人が増えれば、できることも増える?

2018/09/09

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こうして、よく言えば「自由度が高く裁量権がある」、悪く言えば「抽象的で何も決まっていない」、そんなところからなんとか僕らは輪郭を描こうとしていた。

とりあえずLINEグループ作って、Google Appsで情報共有して、週一ミーティング設定して、「ICUをよくする」の理想像を具体化して、手をつけるところを決めて、チームに分けて、プロジェクト決めて、タスク回して、うまくいかずに試行錯誤して、一部のメンバーと話して、みんなに企画を募って、手が回らなくて、結局具体化しきれなくて、小さなスケールにとどまって、ただただ作業を続けてそれを回して。

常に心の中にあったのは、「こんなはずじゃなかった」というもの。「もっとできるはず」「どうすればいいんだ」そう思っていた。その中でも「止めてはならない、止めてはならない」、その一心で足を進め続けた。

新しいメンバーが入ってきてくれて、喜びに満たされた。

もっとやれることは増えるはず。だからこそもっと大きなことを、たくさんの価値を、生まなければと、そう思っていた。

でも現実は、ついてこなかった。

人が増えても何も変わらず、状況は好転どころか悪くなっていく。

 

「メンバーのモチベーションの低下」だ。

一人、また一人と、静かに活動への意欲を失っていくのがわかった。

なんとか現状を打破したかった。

でも、何も変わらなかった。

そして、ついに、人が辞めた。

 

「やる人」と「やらない人」の差は広がり、「やらない人」が増えると、「やる人」の背中に多くのものがのしかかり、団体としての足取りはどんどんと重くなっていった。

 

俺自身も、その中でリーダーとしてだけではなく、プレイヤーとしての価値すらも失っていった。

リーダーとして、俺は何もできなかった。綺麗事を言うばかりで、Wismを選んで、時間を割いてくれたメンバーたちに、本質的な価値を提供することはできなかったし、それは企画に来てくれた人たちにもそう。

絞ること、決めること、突き抜けること、深めること、疑うこと、伝えること、ぶつかること。

そこから逃げていたんだなと思う。しっかりすべきことを見つめ、絞り、決めて、腰を据えて突き抜ける、深める。価値を出す。価値が出せないのなら、なぜかを考え、自分を疑う。そしてその結果を真摯に伝え、問う。たとえぶつかっても、それが目的に沿っているのであれば。

リーダーとしてうまくいかないと、プレイヤーとしてもうまくいかなくなる。それはリーダーとして悩む分、試行錯誤する分、話し合う分、作業量は減るから、物理的に割ける時間もそうだし、心理的にも独りよがりなプレーでガンガンいくことが許されないような気持ちになってしまう。もっと周りを生かさないと、って。

 

結局、

綺麗事ではチームは回らない。

表面的な面白いことばかりでは価値は生めない。

民主主義では何も進まない。

正面で向き合わないと何も伝わらない。

何かを決めないと何も始まらない。

学生ノリのままでは志は成せない。

人は違う。違うからこそ面白いけれど、違うからこそ具体化しなくては伝わらないし、分かり合えない。

維持することが目的になった時点で全てが終わる。

何をすべきなのか、何をしてもらいたいのか、多少の枠こそが自由に価値を生身、思考に可能性をもたらす。

 

そんなことができていなければ、チームはチームである意味を失う。

「人が増えればできることは増える?」

いや、そんな単純な話ではない。

一人じゃなくて、チームでやる意味とは、、?

ただの遊び?孤独の穴埋め?青春ごっこ?

それならそれでいい。でもそれはWismでやるべきではない。

では何をすべきなのか?チームとして。

 

そう、その疑問に答えが出ていない限り、チームであることはマイナスにもなり得る。

そのチームという怪物はメンバー一人一人の時間や心を蝕み、最終的には全てを、破壊する。

 

 

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