【Wism】③人が増えれば、できることも増える?
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こうして、よく言えば「自由度が高く裁量権がある」、悪く言えば「抽象的で何も決まっていない」、そんなところからなんとか僕らは輪郭を描こうとしていた。
とりあえずLINEグループ作って、Google Appsで情報共有して、週一ミーティング設定して、「ICUをよくする」の理想像を具体化して、手をつけるところを決めて、チームに分けて、プロジェクト決めて、タスク回して、うまくいかずに試行錯誤して、一部のメンバーと話して、みんなに企画を募って、手が回らなくて、結局具体化しきれなくて、小さなスケールにとどまって、ただただ作業を続けてそれを回して。
常に心の中にあったのは、「こんなはずじゃなかった」というもの。「もっとできるはず」「どうすればいいんだ」そう思っていた。その中でも「止めてはならない、止めてはならない」、その一心で足を進め続けた。
新しいメンバーが入ってきてくれて、喜びに満たされた。
もっとやれることは増えるはず。だからこそもっと大きなことを、たくさんの価値を、生まなければと、そう思っていた。
でも現実は、ついてこなかった。
人が増えても何も変わらず、状況は好転どころか悪くなっていく。
「メンバーのモチベーションの低下」だ。
一人、また一人と、静かに活動への意欲を失っていくのがわかった。
なんとか現状を打破したかった。
でも、何も変わらなかった。
そして、ついに、人が辞めた。
「やる人」と「やらない人」の差は広がり、「やらない人」が増えると、「やる人」の背中に多くのものがのしかかり、団体としての足取りはどんどんと重くなっていった。
俺自身も、その中でリーダーとしてだけではなく、プレイヤーとしての価値すらも失っていった。
リーダーとして、俺は何もできなかった。綺麗事を言うばかりで、Wismを選んで、時間を割いてくれたメンバーたちに、本質的な価値を提供することはできなかったし、それは企画に来てくれた人たちにもそう。
絞ること、決めること、突き抜けること、深めること、疑うこと、伝えること、ぶつかること。
そこから逃げていたんだなと思う。しっかりすべきことを見つめ、絞り、決めて、腰を据えて突き抜ける、深める。価値を出す。価値が出せないのなら、なぜかを考え、自分を疑う。そしてその結果を真摯に伝え、問う。たとえぶつかっても、それが目的に沿っているのであれば。
リーダーとしてうまくいかないと、プレイヤーとしてもうまくいかなくなる。それはリーダーとして悩む分、試行錯誤する分、話し合う分、作業量は減るから、物理的に割ける時間もそうだし、心理的にも独りよがりなプレーでガンガンいくことが許されないような気持ちになってしまう。もっと周りを生かさないと、って。
結局、
綺麗事ではチームは回らない。
表面的な面白いことばかりでは価値は生めない。
民主主義では何も進まない。
正面で向き合わないと何も伝わらない。
何かを決めないと何も始まらない。
学生ノリのままでは志は成せない。
人は違う。違うからこそ面白いけれど、違うからこそ具体化しなくては伝わらないし、分かり合えない。
維持することが目的になった時点で全てが終わる。
何をすべきなのか、何をしてもらいたいのか、多少の枠こそが自由に価値を生身、思考に可能性をもたらす。
そんなことができていなければ、チームはチームである意味を失う。
「人が増えればできることは増える?」
いや、そんな単純な話ではない。
一人じゃなくて、チームでやる意味とは、、?
ただの遊び?孤独の穴埋め?青春ごっこ?
それならそれでいい。でもそれはWismでやるべきではない。
では何をすべきなのか?チームとして。
そう、その疑問に答えが出ていない限り、チームであることはマイナスにもなり得る。
そのチームという怪物はメンバー一人一人の時間や心を蝕み、最終的には全てを、破壊する。
POPな思想家。誰よりも「どうやったら楽しく人生を送れるのか」ということを考え続けてきた自信がある25歳。エニアグラムは「楽天家」。右脳・感性ベースのポジティブ思考、青春とエモいもの大好き人間。めちゃ思考するけど深みにはまらないのが強み。その強みを生かして、考えたことを社会を良くするために形にしていきたいと奮闘しています。