【Wism】④それでも、誰かとやりたかったから

2018/09/09

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わがままなのかな。

みんなをボロボロにしても、それでも俺は誰かとやりたかったんだ。

一人、また一人とメンバーの心は離れていき、創立メンバーも自分の夢を追ったり、もっと大切なものを見つけたりして。

こうして俺は、リーダーであることを放棄しました。

「やる気のない人以外はもうやらなくていいから」

そう言って大切な仲間を切り捨てた。

 

「純一さんはよくやりましたよ。ほんと、すごいと思います。」

「よく言った。いつかは言わなくてはいけないことだったからな。ごめんな、何もできなくて。」

「じゅんじゅんのせいじゃなくて、誰のせいでもないよ。」

そんな言葉が心にしみた。

なんて情けないリーダーなんだろうか。意気揚々と動いて、だんだん失速して、閉塞感に溢れてきて、仲間を失って、慰められて、、。

 

進行中のプロジェクトはやりきりたかったから、一緒にやってくれる二人のメンバーと一緒に、かつてWismを始めた頃のようなスピード感で、俺もただのプレイヤーとして、ガンガン進めて行った。

やはり、「これ」と決めてインセンティブや目標を設定した上で少人数でフラットに、期間を決めてやれば、話は早い。

でもそれだったら、Wismの存在意義は?

一人でも、必要に応じて友達軽く集めてでも、できるんじゃないの?

組織として、集まる意味は、、?

 

「ICUをより良いものにするために」集まった。んだけど、

抽象的なものは、なんでもできるような気がして魅力的、でも本当に強いのはシンプルで、具体的なもの。そうではないと、だんだんとモヤモヤしてくる。もしそれがチームのビジョンだったのなら、最悪。

ただ俺はみんなと面白いことをやりたかっただけなんだ。

それをアツくなって目指せるような何かを目的にしてさ。

その想いが、優しさのような甘さが、半端さが、みんなを傷つけ、自分を傷つけた。

逃げるな。コトに向かえ。向かうべきコトを、まっすぐ見つめ、具体的に決めろ、伝えろ。行動しろ。

やることをしっかりやる先にしか本当の面白さも生まれない。

本当の面白さが生まれなければ、本気は生まれない。

本気が生まれなければ、本当の絆も生まれない。

「みんなで、面白いことをガンガンしよう」

そんなふわっとした、抽象を具現化するためには、

本当の面白さも、本気も、本当の絆も必要なんだ。

つまり、全てはやることをしっかりやるところから始まる。

やることをしっかりやるということはつまり、「みんなで面白いことをガンガンしよう」というところから考えることではないんだ。

それは全ての先。夢。目的。

そのために、手段としてまずは、攻めるべき対象ややるべきことの選定、手段の策定、実行。そのサイクルを回すといったような、そういった小さなところを埋めていくんだ。ただ愚直にそれだけを。

最初から面白いことなんて、できないし、みんなもついてこない。

「人は慎重に選べ。何をするかより、誰とするか」

「自分で責任感を持ってやらないと見えてこないものがある。当事者意識を持て」

そんなこと、よく言われると思う。

両方とも真だろう。ただ、それはできること、すべきことをチームがやれている際に言えることだ。

これらの言葉の裏には、「チームは最善を尽くしたのに、個人の質が悪かったからできていないんだ」というような、責任を個人に押し付けるようなニュアンスが隠れているからである。

今回の場合は、チームとして最善は、尽くしていなかった。

悪化していく状況を前に、僕もメンバーもみんな、ただただ、呆然としているしかなかった。

そう、多くの場合、問題は見逃しているのではなく、見過ごしている。

何が問題なのかが、わからないのである。

危機感、当事者意識、現実を知らないとその問題の本当の姿には気づかない。気づけない。普通の人が気づけないのは当然。

誰も悪くない。誰のせいでもない。

でも、誰かが気づかなくてはならなかった。

そして、それに一番気付くべきだったのは、俺だった。

視座の高さに実力が追いついていない。これが現実だ。

完璧を求めているわけじゃないし、完璧な人などいないだろう。

仮に他のメンバーも自分と同じくらい団体に対して熱意があって、かつ俺よりも能力が高ければ問題を発見し、解決できていたのかもしれないなんて、淡い期待は持たない。

そういった能力を持った人を巻き込めないのも、周りにそういった熱意を植え付けられないのも、全て自分の力量不足に思い当たる節がある。

そう、ただ、まだ俺はリーダーとしては未熟が過ぎただけだ。

リーダー失格。

必要最低限リーダーとしてのやるべきこともできなくて、プレイヤーとしてのパフォーマンスも下がって、言いたいことも言えず、楽しくもない。自由の名の下で掲げた「放任主義」は、自分にはメンバーを育てる力も、引っ張る力も、価値を提供する力も、余裕も、何もないということを示しただけだった。

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