さみしさの理由⑥

2018/09/09

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さみしさの理由シリーズ第6回。
8月28日。福岡から東京に帰った飛行機の中で感じたことの言語化です。

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「プロ」だったのかな。あの人は。

福岡から東京へ向かう飛行機の中だったかな。
毎回飛行機に乗る時の楽しみはCAがかわいいかどうか、ってのは結構男ならみんなわかってくれるんじゃないかなって思うんだけど、その時のフライトの俺の座席のパートのCAは比較的美人の部類には入るんだろうけど俺のタイプではなくて、けどまさにCAって感じで。
俺、自分で言うのもなんだけど人を見る目はある方だと思ってる。というか結構人を見る時かなり斜に構えてみているところがあって、以外といつも冷静にその人の心を感じ取って「ああ、こういう人なんだ」っていうように、カテゴライズしていくようにみていくタイプなんだけど、そのCAの人は全く心が読めなかった。

「プロ」だったのかな。あの人は。

いつも綺麗な笑顔ではあるけどもその笑顔はどことなく冷たくて、心からといった感じはなくて。それでも感じ悪いかといえば決してそうでもない。仕事を楽しんでいるようにも見えるし、同僚とのコミュニケーションの際も積極的に話題の主導をとって相手を笑わせていたように思う。けど相手も心から楽しんでいるように見えるかというとそうではなくて。常に緊張感を与える人、といえばいいのかな。常に笑顔で、仕事もしっかりこなし、同僚とのコミュニケーションも円滑にとっている。背筋はピンと伸びていて、身につけているものも決して華美ではないけども洗練されている。使っていたペンが百均というところも欠点にはならない空気感。むしろそういう、一見しっかりしてそうで抜けてるとこもあるようなところが魅力な「いい人」なのかとも思わせたりもしたが、そこに魅力を見出すには証拠に乏しいし、なによりそれ以外にそういった「いい人」であると認定するための要素は何もなかった。

「プロ」だったのかな。あの人は。

自分の中で結局答えは出ず、なんだかモヤモヤしたような気持ちでいたが、よく考えるとそのCAの人以外にも自分が心を読みきっていない人は自分の周りにもたくさんいたことに気づいた。特に社会人の人たち。それも、比較的「デキる人」。それはなぜなのか。自分の人を見極める選球眼がまだまだ(特に社会人の方々に対しては)なのか、それとも社会人の「デキる人」は仕事に対して「プロ」であるからなのか、社会人になると心が死んでいくからなのか、自分が社会人の方々を見極めるところまで心を開かせることができていないのか、、、
答えは分からないが、あの人は社会通念上では評価されるCAであったことに間違いはない。
あの人にはオーラがあったし、仕事もできているように魅せる力があった。(現に仕事ができるのかもしれないが)笑顔や背筋が伸びていることもCAとしては必要な要素だろうから。
オーラ。言語化できないが、そこに価値があったのかもしれない。まだお前程度には見破らせないぜということだったのかもしれない。

「プロ」だったのかな。あの人は。

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