さみしさの理由⑤

2018/09/09

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8月24日。
福岡から東京に戻ってきて、福岡で拾った想いたちが思考へとだんだんと結実してきた頃。
想いのたけをバーーッと書きました。

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実利主義と快楽主義。
エリートとヤンキー。
上昇志向と地元志向。

中高俺は基本的に後者の価値観の中で生きていた。
しかし前者の価値観に触れる機会もあって、俺の心を掴んだのは前者の方だった。
だから東京の大学を目指したんだし、こうして紆余曲折あれど東京にいる。

自意識が芽生えて以降、それを大学生以降と仮定すると、それ以降は福岡では完全にフィットできていなかった。
福岡においては後者的な価値観がなかなか強いから。九州の都で、ある程度なんでもあるし居心地もいいしね。
それでも上手くやれていたのは他でもなくそれまでの人生で俺がやってきた、
基本的な上昇志向的感性と地元志向的感性のすり合わせの作業の成果に他ならない。
人を喜ばせたい、そんで俺も気持ちよくなりたいっていう今でも変わらない思考法は上昇志向の賜物だけど、
結果それは地方で生きるうちに地元志向的感性とすり合わせられ、研鑽され、独特のコミュ力に昇華された。

そして、コミュ力がモノを言う地元コミュニティーの代表格スクールカースト内ではうまくやれてきた。そういう自負はある。
それを応用すれば福岡での学生生活は普通に乗り切れた。バイトもサークルも学外活動も全部そう。(基本的にスクールカースト内でうまくやる力は人間関係を円滑に進ませる力であり、コミュ力であり、それはどこでも通用する最強の力だと思う。)
上昇志向を持った人がそのセンスを対地元コミュニティー用のコミュ力に転換した時のコミュ力はなかなか強い。
それは福岡での学生生活で痛感したが、地元志向の人のコミュ力はフィッティングはさることながらそれに上昇志向のセンスのエッセンスが加わればシナジーが起こるのだ。
普通だったら「ノリいいし、肩組んで飲めるダチ」あるいは「面倒見のいい先輩」「かわいい後輩」となるところが、
シナジーが起これば「なかなかノリもいいし肩組んで飲めるのになかなか考えてやがる、頭いいな。」あるいは「おもろい先輩!しかも結構考えてそう。いろいろ話もききたい!」、「バカもやれるけど語れもする、ケツ叩いてくれるかわいい後輩」となる。
つまり、視座が違うからこそ、少し異端となりがちなところをコミュ力で補えれば、「なんかよくわかんないけどすごい人」にレベルアップさせることができるのだ。その恩恵を少なからず受けてきたんだなと今思う。

ただ、この転換には犠牲も伴う。
どこまでいこうと基本的に上昇志向は異端であり、コミュ力を持ってみんなの懐に入っていけたとしても思考の齟齬は起こる。
どこまでいこうとやはり視座が違うから、完全には理解されないのである。「なんかすごい!」とはなってもそのすごさが何故すごいのか認識している人はあまりいなくて。実は認識してみればそんなものたいしたことなかったりするのに。だからフルでは語れない。もちろん俺も上昇志向の塊なんかじゃないし、地元志向的感性も十分あるから笑ってみんなと共に時間を過ごすことは出来るけど未来を思えばそこで終わりたくない自分がいる。だから常に寂しさや孤独感は覚えていた。上昇志向に染まったエリートにもなれないけど、地元志向に染まったヤンキーにもなりきれない自分がいたんだ。上述の通り、それが独特の自分のコミュ力や世界観を創ってきたところもあるからもちろん良さでもあるんだけど、いいことばっかではなかったなあ。やっぱり寂しいし孤独だもんね。変に上昇志向がなければ地元の中高大で九州に根を下ろしてやっていけただろうに。変に地元志向がなければ早々と地元に見切りをつけて上京しただろうに。

中途半端な俺は大学は結局福岡の大学にしか受からなかったけど、そこでしかできないことを自分でしかできないやり方でやってきたように思う。
上昇志向を持って様々なことにチャレンジしながら、思考しながら、トータルな自己研鑽をしながらも、地元志向を持って遊び散らかし、コミュニティーを広げ、世界を広げ、絆を深めてきた。それでも2年も経つと俺の上昇志向は地元にとどまることを許してはくれず、編入を受けた。思いがけず合格をいただき、自分が2年やってきたことに価値があったこと、自分が成長していたことを知った。
どこまでいっても中途半端でふらふらしてるけど、結果それが今の俺を創り、俺の喜びも悲しみも生んでいることを感じた。
すべての出来事がすべて自分が自分であるために用意されているように感じた。
中途半端な俺が、これほどまでに中途半端さを生かして歩める人生もないなと思うくらい素晴らしい人生だなと思ってる。
その中途半端さはジェネラリストや社会的芸術家といった思想体系に集約されてる。
つまりそれらの言葉が、中途半端さが、ふらふら度合が、すべてが俺なんだなと思ってる。

話は飛んだけど、編入して東京の大学に来ると、自分の上昇志向など大したことなかったというのが確信に変わった。
野心、夢、志に溢れるやつら。
それらを努力に落とし込んでるやつら。
なんとかチャンスを掴もうと目をギラギラさせてるやつら。
どいつもこいつもまさに上昇志向の塊。東京の大学に行くことがステップアップだった俺は、その先でその大学に来てることが普通なやつら、あるいは俺が喜んで入った大学に不本意ながら入ってるやつらに出会ってそう思った。上昇志向のレベルが違ったんだ。
たしかにそうじゃないやつらももちろんいるけど、基本的に今の俺の大学に来てるようなやつらは地元志向は欠如していて、代わりに達観志向みたいなものがある。受験戦争を勝ち抜いて、一種のエリート的思考を持ちながらもそれは上昇志向に根付いたものではなく、「自分が思うようにやればなんとかなるでしょ」といったようなもの。まさに悟り世代。
それで実際なんとかなっちまうのが学歴社会と偏差値競争の光の部分の親和性なんだろうな。実際みんな頭いいからね、行動原理もそうだし、話してても思う。前の大学にもある一定数そういう人はいたなー。でも前の大学ではそれが地方のメリットと絡み合って地元志向になってる部分があったように思う。頭いいのに「ここでいいじゃん、こんくらいでいいじゃん」って感じ。もったいない。

さて、その達観志向的なみんなからは俺の姿はなかなか特異に映るらしく、「なんか意識高くバリバリやってるっぽいし真面目にやってるのにどこかエリートとも違うぞこいつは」といった感じ。上昇志向は捉えられている感じはするけど、地元志向的感性に根付いたコミュ力みたいなものの根源は誰も言語化できてなくて、きっと地元志向は東京の価値観では捉えられないんだろうなと思った。
一方上昇志向の塊のようなみんなからは俺の上昇志向は気にも止められない。「ふーん、あーお前もなんかおもろいことやってんだな」って感じ。そこが話す上での基本ベース。会話は「なにやってんの?」から入ったりもする。そこで問われてるのは大学とか学部とかはさることながらインターンやビジネス、IT関連のアツい技術の勉強、学生団体のことである。そんなやつらにとって数多といる上昇志向の塊のようなやつらの中から俺にしかない構成要素として認識されてるなと思うのは地元志向的感性なのだ。やはり俺には地元志向的感性があり、それは福岡にいるときは当然なものだったが東京では珍しいものになる。福岡にいるときは上昇志向が珍しいものだったのとは逆に。
やっぱりここでも俺はその中途半端さの恩恵を受けているけど、やっぱりここでも俺は完全に理解されることはなかった。福岡にいるときは上昇志向があるからフィットできないのかもしれないと思っていたが、東京にくると俺に地元志向が強くあることが明らかになり、地元志向がフィッティングの邪魔になった。

きっと俺はどこまでいっても一人なんだろうと福岡から東京へ帰る飛行機の中ぼんやり思ったりした。
けれどそれは悲しみばかりではなくて。
俺は中途半端で、ふらふらで、ジェネラリストや社会的芸術家の思想体系を作ってるけど、そんな俺だから沢山の喜びも幸せも見ることが出来た。そんな俺だから悲しみま寂しさもあるけれど、どれも全て俺が俺として生きていく上でのスパイスでしかない。
人間は誰しも究極は一人だと思う。究極的には頼れるのは自分しかいない。
究極的には一人で、思想を、世界観を作り上げ、それを表現して生きていくしかないんだ。
誰かに合わせてその思想を、世界観をねじ曲げるのは間違っていると思う。
常に最初にあるのは自分であるべきだ。
周りの影響は多少あれど自意識が芽生えたのちはそれらも全て自分の選択の結果であり、それらを総合して自分で作り上げた思想や世界観を表現することこそ生きるということであり、その思想や世界観を表現していくことこそ夢を叶えていくということである。その思想や世界観を表現していった先に誰かは、なにかは、きっと待っている。

そのときにその純粋な自分の想いに耳を傾け、心から頷き、ときに笑い、ときに涙して、手を差し伸べてくれる人こそ、本当に愛すべき人であり、そのときはじめて人は本当の意味で一人じゃないと思えるのかもしれない。

生きている間にその境地に、
絶対に到達してみたい。
そしてそこから見える世界を見て、
さらにそれを広げていきたい。伝えていきたい。

そう思うからこそこの生き方ができるのかもしれない。
中途半端な俺だから、きっとこの考え方もすごく中途半端で独特なものなんだろうなと推測する。
最後まで読んでもらっても、言語化できるところまで把握してもらえるとは思っていないけど、少しでも伝わればなあ。
別に伝えるために書いたわけじゃないけどわかってくれる人がいたら嬉しいもんね。

長々とありがとうございました。

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