幸せの先

2018/09/09

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本当の意味で人生を楽しむ。

本当にそれでいいのだろうか。

そう思った。
誰でも、生きている意味があるはずだ。
欲を満たし、最高の場所で、愛する人たちと一緒に生きる。
本当にそれだけでいいのだろうか。
「幸せな時は不思議な力に守られてるとも気付かずに、
でももう一回と願うならばそれは複雑なあやとりのようで」
恋しくて/小沢健二

自分の欲が満たされ、最高の場所で、愛する人たちと一緒に生きていると、それができない人のことを考える。
その最高の場所に、愛する人たちに、自分の欲を満たしてくれるものたちに、何ができるだろうと、ふと考える。

この幸せは、当然じゃない。
この人生は、当然じゃない。
自分の力であり、誰かの力である。

本当の意味で人生を楽しむ。
そのためには、隣に誰かがいる必要がある。

ベトナムで事故を目撃した。
人が倒れていた。血を流しながら。
ピクリとも動かなかった。

俺に幸せな気持ちを届けてくれた国の人が倒れていたのに、
俺は何もできなかった。

また明日からは普通に日常が始まるのだろう。
でも、その日常は決して当然じゃない。

死は生の対極にあるのではなく、生の中に内包されている。

人はいつか必ず死ぬ。
そして、その刻はいつも突然だ。

「いくよ!いいかい?せーの!」で生を飛び越えていくのではなく、気づかぬうちにじわりじわりと生を蝕み、その刻になるとぷつんと糸が切れるように死に到達する。

だから俺は今できることを精一杯したい。
so, live a life you will remember.
上へ上へと行きたい。先へ先へと行きたい。
何をしても、死にに行くなんてことはない。
死というものはその刻はあらかじめ決まっていて、じわりじわりと近づいているのだから。

でもその刻がいつかなんてことを知ることはできない。
だから、リスクなんてものは存在しない。
そこにあるのは残された時間を生きることだけ。
そして自分ができるのはその選択をしていくことで日常を作っていくことだけだから。
それなら、どうせなら一生懸命自分の人生を生きたい。
本当の意味で人生を楽しみたい。
そして、その先でもらった愛を多くの人たちに返していきたい。

心からそう思っている。
だから俺は幸せに、これからも生きる。
その先に多くの人々の幸せがあると信じて。

そう思ってしまう俺はやっぱりどこに行っても、
ただ自分が幸せなだけじゃ満足できないのだろう。
どう生きれば自然な形なのか。それを探していきたい。

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