改めまして、すべての人へ。ー決意ー

2018/09/09

Pocket

3月9日。雨。

ついに3月になりました。

他の大学よりも少し遅く春休みに入るICUも、ついに春休みになりました。

そう、ICUでの1年目が、大学生活3年目が、終了しました。

今年の春休みは、1ヶ月しかないし、福岡に帰省はしません。
何するかというと、勉強したりインターン行ったり遊んだりゴロゴロしたりベトナム行ったりしたいと思ってます。わくわく。

そして、何よりも、4月から到達する未知の領域である「大学3年生」。
なんか2年生2回もやっちゃったから3年生に対して変な思い入れあるんですよね。笑

そこに向けて、いろいろ考えていくべき時期かと思います。

3年生というと、そろそろ就活も始まり、自分の研究も普通なら追い込み時期に入る頃。(ICUは専攻を3年から決めるから全然ちゃうけど)
つまり自分の大学生活後半、いろんなものを形にしていくフェーズ。

俺はその形にしていくものの一つとして、Wismっていうサークルを立ち上げた。
その基本構想となったのは俺がICU Speaker’s Competitionで話した内容。

動画は長いので興味ある人だけ見てくれればいいんでってことでザックリ要約すると、

「ポテンシャル、環境共に恵まれている学生たちが与えられたことだけをこなしてなんとなく日々を送ることはその人にとって非常に勿体無いし、社会的に見てもそれは大きな機会損失。自分で自分の人生、選んで生きたほうが楽しいじゃん。だから頑張ろうぜ!!!!」

ってことだった。
でもその話をした後に俺に突きつけられた現実は自分の届かせられる声には限界があるということ。

 

俺が今回のプレゼンを通して得た一番の学びは痛みを伴うものだった。
俺さ、どこかこんな風に思ってる部分があったのね。
「人間同士なんだから、話せばわかる」「心で思い切り伝えれば、きっと伝わる」。
でもそれは、もしかしたら違ったのかなって。
このプレゼンの後、3位という結果からは、
俺のメッセージがみんなの心に届いたんだっていう確信を得ることができていなかったからすげー悔しかった。

そんな時俺の友達が言ってくれた言葉がある。
「例えばの話だけどさ、根暗な人に明るくなれよ!って言ったってなれんやろ?それと一緒じゃないかな。」
すげー大事なことに気づかされた気がした。
その気づきは悲しくて、痛みを伴うものであったけれど。

そう、そうなんだよね。
思えばそうなのかもしれない。
俺の尊敬する尾崎豊だって、めっちゃたくさんの人の心に言葉を届けていたように見えるけれど、
その言葉が届いていた人たちはみんなその言葉が届く感受性を持った人たちだったんだと思う。

そうじゃない人は根本からそうじゃないし、
その人に尾崎がなんて叫んでも一緒だったんだろう。
つまり、人間一人が届けられる言葉や想いの幅はその人の生きてきた、
見てきた、感じてきた世界の幅に限定されているし、その枠の中でしか表現をしていくことはできない。

そしてそれはつまり自分という人間には自分の言葉を届けられる人の限界をいうものが存在するということを意味しているのだろう。
考え方が違う人だって、宗教が違う人だって、話せばきっとわかるっていうような世界平和的な考えは正しくないのかもしれない。

人には人の世界がある。
そして、その世界の壁はきっと、どんな言葉で叫んでも、壊すことはできない。

でも、人には人の役割がある。
俺には俺しか届けられない人たちがいるんだろうし、
その人たちはきっと俺にプレゼンの後メッセをくれた人たちだと思う。ありがとうね。嬉しかった。

俺はその人たちを大事にしていこうと思った。自分が大事にできる人を、周りにいてくれる人を、最大限に大事にする。
そして、その周りにいてくれる人を、自分の声が届く人を、少しづつ広げていく。
俺の言葉に耳を貸す価値もないと思う人だっているかもしれない。
そんな人は、残念だけど俺には何もできない。どんなに愛を注いでも、きっと心には触れられないから。
そこは諦めるさ。でもきっと俺じゃない誰かが届けてくれると思う。
俺は俺のすべきことをするし、誰かもきっとそうするんだろう。
そうやって自分の表現を自分の世界でしていき、少しづつそれを広げていこうとする人たちが増えていったらきっと世界は良くなる。

 

そう、俺は「表現」こそ至上で、人に精一杯想いを届ければ心を動かせると信じていた。
けどね、その表現には、言葉には、アートには、限界があった。
そこで俺は「アートの限界」を見た。それは「アーティストの限界」とも言えるかもしれない。
どんなに表現を磨いても、表現する自分の中に自分がある限り、その枠が、幅の限界がある限り、届けられる人には限界がある。
スキルを、表現を磨き、手を動かし、
その先に周りにいてくれる人たちに声を届け続け、結果としてその人たちの心を動かす。
それがアーティストの仕事だし、ビジネスライクに言うとそれはサラリーマンの仕事。
それも必要なことで、素晴らしいこと。
それは俺がこれからもしていかなくてはいけないことだし、していきたいこと。
誰だって、自分の想いがあって、考えがあって、それには必ず共感してくれる人がいる。
だから、そういう意味でいうと、誰だって表現者だと思う。

けど、上述した通り、その仕事には限界がある。
自分の声が届かない人の心を動かすことはできないから。
それは俺にとって、悲しいことだった。でもそれは仕方ないことで。
そうやって諦めようとした。

「ノブレス・オブリージュ」
っていう言葉がある。
確か、「恵まれた人の責任」みたいな言葉なんだけど、
俺はすごくその言葉の意味を感じている。

俺は恵まれてる。
多くの人たちに囲まれて、何不自由なく幸せに生きられているし、楽しく夢を描くことができている。

「じゅんいちはいいね」「輝いてる」「すごいね」

そんな言葉を言われることもあるけど、
俺は俺のことは何もできてないと思ってるし、このくらいのことなら、
「みんなにもやれるさ、やっちゃえばいいじゃん!」って風に思ってた。
だからICU Speaker’s Competitionでもああいう風に言ったんだと思う。
心から俺は誰にでもできると思っていたし、なんでできないんだろうと思っていた。

けどもできていない人たちも決して何もしていないわけじゃない。「自信」だったり「承認欲求」そして「想像力(情報、知識)」といった根幹の部分が欠けていることによって、踏み出せていないということが多い。

そして、そういったものが欠如していると、そういったものが満たされている人の声は届かない。
踏み出す自信がないから。まず自信を持つために必要な周りからの承認や愛が満たされていないから。その先を想像できないから。

自分が完璧というつもりはないし、そんな気持ちは全くない。
けども、俺はすごく幸せだから、みんなにもそうなってもらいたい。幸せに、なってもらいたい。

もう自分だけでは満足できなくなってしまっていたんだ。

他の人にどれだけのものを伝えられるか。
そしてそれを感じることで俺も幸せになれる。

だから、より多くの人に声を届けたい。

自分の声が届く人には、もっとしっかり届けていきたい。

自分の声じゃ届かない人にも、届く人の声を届けてあげたい。

そのサイクルが生み、継続していく場所を作りたい。

だから俺はWismを作った。

サークルではあるけれど、代表になった。経営者になった。

ここは俺の人間としての人生の転換期だと思ってる。

これまでの、自分の常識だけで、想いだけで生きてきた、
「アーティストとしての自分」から、

仲間のことを考え、社会のことを考え、周りの人のために生きる、
「経営者としての自分」の誕生。

そして、そのアートとビジネスを融合させた、
「社会的芸術家としての自分」への転換である。

愛し、自信を与え、背中を押す。

 

3月の風に思いを乗せて、
気づいたことは一人じゃないってこと。
瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいることで
どれ程強くなれたでしょう

あなたにとって私もそうでありたい。

3月9日/レミオロメン

 

「ひとりじゃないんだ」「自分なら大丈夫」「次があるさ」

そう思うとふっと笑顔がこぼれて涙が溢れ出す。
そんなものに触れると、人は変われる。
人が変われば、社会も変わっていく。

「人の心を動かすものを創り、それをシステムとして継続的な形にしていくことによって、人々を、社会を変えていく」

それが俺の生き方なんだと、そう思う。

だからこれから自分の人生をかけて、そしてそれを落とし込むこのブログでも、
「社会的芸術家」として、表現をしていきたいと思います。

改めまして、すべての人へ。
よろしくお願いします。

Pocket