ICU Speaker’s Competitionが終わりました

2018/09/09

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Facebookでは何度か告知させていただいていたICU Speaker”s Competitionが、先日終了しました。

結果は3位でした。

もちろん、優勝という目標を掲げていたので、この結果には全く満足できてはいませんが、
このCompetitionに出て、たくさんのものを得ることができたので、出て良かったと思っています。

ここで改めてその想いをまとめます。
大きく分けると自分が今回を通じて得たものというのは3つに分けられるかなと思っています。

1.試合に負けて勝負に勝つ
2.自分の実力
3.悲しい気づきと優しい陽射し

以上の3つなのですが、もう少ししっかり見ていこうと思います。

1. 試合に負けて、勝負に勝つ
俺、いつもそんな気がするんですよね。明確な勝ち負けが決まっているような、いわゆる「試合」というものには大抵負けているような。
そういう試合に対して、もちろんモチベーションは上がるのですが、どこかその結果にコミットしきれないところがあるのかなあと思います。
いつも自分が必要以上にケアしてしまうのは自分の満足感と他の人に何を与えることができるか、何を届けることができるか、ということなので。
その結果起こるのは、試合の結果よりもうれしいものが得られるということ。それが「勝負」に勝つということなのかなと認識しています。
でもそれは自分の楽観主義から来るもので、ただ自分が結果に満足しているだけなのかなって思ったりもする。だって、「試合」に勝てればよりいいんだもんね。
でも、やっぱりこう思う。「試合」よりも「勝負」が大事で。
極論、誰の心にも届かぬ優勝よりも誰かの心に届いたドベの方がいいよね、って思う。
今回だって、3位に終わった自分に届いた沢山のメッセージ、言葉、それがあるから俺は頑張れるし、やってよかったって本当に思った。
俺は勝負に勝ちたい、これからもずっと。
それは俺のやり方を守ることにもつながるのかなと思っているから。その先に試合への勝利もあると信じてる。
全ては、人の心を動かすこと、何かを届けること、そして自分が満足することから始まる。

2.自分の実力
俺、基本的に根拠のない自信持ってる人なんやけども、今回の結果は手応えもあったし純粋に悔しかった。
審査員からのフィードバック得ても、心からは納得できてない自分がいたし、
反発したい気持ちは山々だけれども、結果は真摯に受け止めようと思ってる。
自分のスタイルは、曲げない。曲げる必要はないと思っているから。
けれど、結果は真摯に受け止める。俺にはまだ足りないものがある。確実に。
だからそれを受け止める。自分がどう自分らしくそれを補うことができるのかを、考える。

俺が「試合」に勝てない理由は、勝つための準備を120パーセントするという能力が欠けているからであると認識している。
今回のようなプレゼンの場で言うと、ターゲット研究と自分の持ち味の明確化、
そこから下りてきて話す内容とそのロジック、ストーリー、スライドまでガンガン尖らせるということを俺はしてこなかったし、
いまの自分にはできない。それが俺の実力だ。
直前に「試合」に備えるのは好きじゃない。一気にそれだけに集中するなんてこともできない。
だからいまここからまた今度そんな機会があった時のために備えようと思ってる。
今回1日前にスライドを完成させたようなバタバタ感でも今回よりもより高いレベルのプレゼンができるように。
それが本当の意味で自分の実力を高めるということだと思ってる。

3.悲しい気づきと優しい陽射し 
俺が今回のプレゼンを通して得た一番の学びは痛みを伴うものだった。
俺さ、どこかこんな風に思ってる部分があったのね。
「人間同士なんだから、話せばわかる」「心で思い切り伝えれば、きっと伝わる」。
でもそれは、もしかしたら違ったのかなって。
このプレゼンの後、3位という結果からは、
俺のメッセージがみんなの心に届いたんだっていう確信を得ることができていなかったからすげー悔しかった。

そんな時俺の友達が言ってくれた言葉がある。
「例えばの話だけどさ、根暗な人に明るくなれよ!って言ったってなれんやろ?それと一緒じゃないかな。」
すげー大事なことに気づかされた気がした。
その気づきは悲しくて、痛みを伴うものであったけれど。

そう、そうなんだよね。
思えばそうなのかもしれない。
俺の尊敬する尾崎豊だって、めっちゃたくさんの人の心に言葉を届けていたように見えるけれど、
その言葉が届いていた人たちはみんなその言葉が届く感受性を持った人たちだったんだと思う。

そうじゃない人は根本からそうじゃないし、
その人に尾崎がなんて叫んでも一緒だったんだろう。
つまり、人間一人が届けられる言葉や想いの幅はその人の生きてきた、
見てきた、感じてきた世界の幅に限定されているし、その枠の中でしか表現をしていくことはできない。

そしてそれはつまり自分という人間には自分の言葉を届けられる人の限界をいうものが存在するということを意味しているのだろう。
考え方が違う人だって、宗教が違う人だって、話せばきっとわかるっていうような世界平和的な考えは正しくないのかもしれない。

人には人の世界がある。
そして、その世界の壁はきっと、どんな言葉で叫んでも、壊すことはできない。

でも、人には人の役割がある。
俺には俺しか届けられない人たちがいるんだろうし、
その人たちはきっと俺にプレゼンの後メッセをくれた人たちだと思う。ありがとうね。嬉しかった。

俺はその人たちを大事にしていこうと思った。自分が大事にできる人を、周りにいてくれる人を、最大限に大事にする。
そして、その周りにいてくれる人を、自分の声が届く人を、少しづつ広げていく。
俺の言葉に耳を貸す価値もないと思う人だっているかもしれない。
そんな人は、残念だけど俺には何もできない。どんなに愛を注いでも、きっと心には触れられないから。
そこは諦めるさ。でもきっと俺じゃない誰かが届けてくれると思う。
俺は俺のすべきことをするし、誰かもきっとそうするんだろう。
そうやって自分の表現を自分の世界でしていき、少しづつそれを広げていこうとする人たちが増えていったらきっと世界は良くなる。
気づいてしまった悲しさの中に、そんな優しい陽射しが差し込んだ気がした。
これが大人になるっていうことなのかもしれないなあ、なんて。

以上三つ、ICU Speaker”s Competitionを経て得ることができた気づきでした。
応援してくださった皆さん、スタッフの皆さん(特にさきやめぐ)、見に来てくれたみんな、
メッセくれたり声かけてくれた人たち、ありがとうございました。素敵な機会でした。

これを糧にまた頑張るね。
これからもみんな、よろしくね。

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