さみしさの理由⑨

2018/09/09

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10月6日。
そう、10月頭くらいまできつかったんだよなー。って。
でも、答えが見えた気がした頃でもありました。

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福岡に帰ってしまったのもでかかった。
ビッグになるまで帰ってこないと誓った故郷へと帰ってしまったこともでかかったんだなと思う。
たった三日。たった三日間だけだったけども、中高そして大学の2年間を過ごしたその地に戻ってしまったことによって思い切って背を向けてきた沢山の大切なものが自分の中で溢れだしてきた。見るものひとつひとつ、歩く道ひとつひとつ、聞こえてくる言葉のひとつひとつや香り立つものひとつひとつ。そして会う人たちのひとりひとりがすべての自分の中の東京で闘って生きていくための強さや情動をゆっくりと解きほぐして、やわらかなやさしさや弱さをあらわにしていってしまった。東京に戻るのもとても辛かったし、東京に戻ってからも辛かった。東京に度々足を運んでいた受験期や編入入試の頃に感じていた東京への違和感やこぼれ落ちていくさみしさがまた自分の心をえぐるようになっていた。想いを固めて出てきた春にはその想いというバリアで自分を守ることができたけど、今は何もない。自分の心を常に揺さぶり、奮い立たせ、東京へと導いた強い想いでさえ、福岡での三日間で溶け出していってしまうようなものだった。そして、東京に戻って繰り返される日々の中で磨耗していってしまうようなものだった。
こうやって書きながら自分の心の中のひとつひとつの想いにまた気付いていく。自分は自分が思っていたほど強くはなかったんだなあって、しみじみと気付いていく。当たり前のように思っていた日々の中にやさしさは溢れていて、そのやさしさに抱きしめられながら笑って日々を送れていたんだって改めて気づく。やさしさの中で育まれた温かな夢は、吹きすさぶ都会の孤独の風からをも守ってくれたけど、闘いの日々の中でその夢を磨耗してしまったあとに家に帰れば、かつて自分を温めてくれていた温かな夢は沢山のやさしさの中で育まれていたことに気づく。そして自分はそのやさしさに溢れた環境に背を向けてしまったことに気づく。

「産声をあげ、そして立ち上がり、やがて歩き始め、一人きりになる。」

そう、俺は本質的に一人きりになってしまったことに気づいた。もはや故郷の温かさを身にまとい生きていくことはできない。その温かさは、皮肉にもその故郷に帰ったことで自分が自分から捨ててしまったものだと気づいたのだから。それに気づいてしまった後にはもうそれにはすがれない。もう、身にまとうにはあまりにも多くのやさしさを無下にしてきてしまった。人が幸せに生きるためには、多くのやさしさを必要とす るのに。

「心が悲しみに溢れかき乱されても怯えることはない。それが生きる意味なのさ。」

自分の夢の甘さや自分の存在のちっぽけさに気づくとあまりに巨大すぎる街に押しつぶされそうになる。遠く離れている故郷には自分を想ってくれる人がいるという一抹の希望や巨大な街の中で、知らない人たちばかりな街の中で、一緒に時間を共有してくれる友達たちに支えられながらなんとか人間らしさを保つことができた。でも、それを守りながら生きていくには、あまりにこれまでに多くのやさしさを受けてきたし、その中であまりに温かな夢を育んできてしまった。そしてそれに背を向けてしまった今、そう、もう後には戻れない。一人になって、自分の弱さにも強さにも、気づいているようでわかってなんかいなかった本当に大切なものにも、、沢山のことに気づかされた。社会的に見れば、「ほんの少しのもの」を失って、「沢山のもの」を得た。でも、「本当に大切なもの」は、その「ほんの少しのもの」の中にあった。けれど、得た「沢山のもの」だって、俺の夢を叶えるためには必要なものがちりばめられてあって。そう思ったからここにきたんだし、それは期待通りだったけれど、叶えたかったその夢はやさしさのバリアを剥がれるともろくも崩れ去りそうになってしまうもので。
そんなくらしの中で、いつまでも自分の心の中で燃え続ける灯があった。それは「本当に大切なもの」を守ろうとする心だった。その灯が照らし出した真実は、人が幸せに生きていくためには、本当に沢山のやさしさが必要なんだっていうことだった。

「Hey Baby, 忘れないで。強く生きることの意味を。 Hey Baby, 探している答えなんかないかもしれない。何一つ確かなものなど見つからなくても、心の弱さに負けないように立ち向かうんだ。さあ走り続けよう、叫び続けよう、求め続けよう。この果てしない生きる輝きを。」

苦しいね、苦しいよ。苦しいんだ。「本当に大切なもの」を捨てて、それをそれほど価値のないもので埋めてしまえば楽だけど、それをしてしまうと僕が僕じゃなくなるから。だから闘い続けなくちゃならない。人は誰も皆いつかは一人になる。そんな時に、いろんなことに気づくだろう。そこで闘って、自分の在り方を見つけることができるか、諦めてしまうか。そこで人は変われる。変わりたくなくても変わってしまう。変えることができる。自分の在り方を見つけることができた時、生きる意味は、きっと見つかる。これと言った原体験はないけれど、いつまでも自分の心の中で燃え続けてきたこの灯はきっといつまでも燃え続けるだろう。人が幸せに生きるためには、これほどまでに沢山のやさしさが必要なんだから。

「新しく生まれてくるものよ、お前は間違ってはいない。誰も一人にはなりたくないんだ。それが人生だ。わかるか。」

俺はこれからも闘い続けなくちゃならない。
街で生きることを決めたということはそういうことだ。
「本当に大切なもの」を捨ててしまえば人は自由になれる。でもそこでその自由に押しつぶされる危険性も生まれる。自分の弱さが、甘さがわかって、どれほど大きなものを自分は持っていたのか。そしてそれを捨ててしまったのかに気づく。そこからすべてを受け入れて、新しい安らぎを一から作っていかなくてはならない。そう、自分の力だけで。そうじゃなければ、残り少なくなってきた昔のやさしさに細々とすがるか、つまらないもので自分を満たして生きていくしかない。
やさしさを、人に与えなくてはならない。そうやって初めて自分もやさしさを得ることができる。裸になった、何もない自分に、もらったやさしさ、そしてその時感じた喜びこそが本当のやさしさの温かさだ。その温かさにびっくりするだろう。自分はそのやさしさを受け取ることのできるだけ価値のある人間だと思うと、涙が出る。それだけできっと人は生きていけると思う。だから人は一人になって初めてそこで本当の自分の人生がはじまる。何気なく受け取ってばかりだったやさしさ、その温かさに気付いた時、初めて誰かにそれを与えたい、その温かさを共有したいという想いが生まれる。そこで誰かにやさしさを与えていくことのできる可能性が生まれる。俺はその可能性を生かしたい。最大限に、生かしたいんだ。一人でも多くの人にやさしさを与えたい。「本当に大切なもの」を、大切にすることの大切さを、伝えたい。
人が幸せに生きていくためには、本当に沢山のやさしさが必要だから。

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