さみしさの理由:最終回

2018/09/09

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10月8日。
このメモを最後に、これくらいの時期を最後に、
たまに襲ってくるどうしようもない「さみしさ」、
夏休みが終わった時期くらいから長らく自分につきまとってきていた「さみしさ」、
そんなものを消化できた気がする。

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「今」を生き続けるということはこんなにも難しい

ふとさみしくなる時とかって、ないですか?
僕は結構あるんです。
以前にもエントリー書いたけど、かつての記憶を呼び覚ますような懐かしい音楽を聴いた時とか、中高の友達に会った時とか、ひとりの夜とか。
その時思い出す「過去」はすごく輝いてる。辛かった思い出でさえ、美しさに彩られて。
その思い出がいつも足を引っ張る。そのさみしさっていう感情に向き合うこともまた、必要な気がするからいつも向き合うけど、それを乗り越えて答えを出せれば素敵な時間になるけど、答えが出なかったらただただ辛い。

「幸せな時は不思議な力に守られてるとも気づかずに」

幸せな時はそう、未来に想いを馳せて生きる。
辛い時は過去に逃げたり浸っていたりする。

そう、「今」を生き続けるということはこんなにも難しい。

「でももう一回と願うならばそれは複雑なあやとりのようで 」

「今」もいずれは「過去」になっていく。
そして「未来」はどんどん「今」になっていく。
その時に、「今」を生きることのできていなかったら、新しい「過去」は浸ることのできるものだろうか?辛い時に逃げこむことのできるものだろうか?
「未来」を見ることができていなくても「未来」はやってくるけども、「未来」をみてばかりいては「今」はただただ過ぎていく。

「未来」は時々チラ見、「過去」は辛い時に抱きしめて眠る。そのくらいが一番いいのかもしれない。

「今」を生き続けるということはこんなにも難しい。
だけど、「今」を生きられない人には素敵な「過去」も「未来」も生まれない。素敵な人生は生まれない。
「今」を笑おう。「今」を楽しもう。「今」を生きよう。

自戒もこめて。

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