さみしさの理由①

2018/09/09

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1ヶ月間、7月8日から8月11日にかけて毎日ブログを更新した先に、2ヶ月の沈黙。
その2ヶ月の間に考えていたこと、言語化したものをあげていくこの企画。

今回は8月の18日から20日にかけて温めていた考え。

自分の印象を作り、更新し続ける日々。

あなたは自分のことをどれだけ知っているのか?
100の自分の内80知ってくれている人がいて、
100の自分の内20しか知ってくれていない人もいる。
同じ「友達」であってもそうで。

本当の自分なんてもんはどこにもないのかもしれないけれども、
その自分の像は自分の中にあり、相手に鏡として素直に映る。

おかしいのは東京か、福岡か。
東京にいた自分か、福岡にいた自分か。
東京だと思う。狂った街さ。

偉そうに後輩の前で話す自分。
俺にその価値はあるのか。
受け取り方ですべては変わる。
俺の正しさがそのまま誰かにとっての正しさであるとは限らない。

「この自分」だって思っていた自分は東京では正しかったのかもしれないけれど、
それは福岡では通用しない。それは逆も然り。

周りの環境は非常に大切だ。自分に大きな影響を与える。
その影響をコントロールすることはできるのだろうか。なりたい自分になれるように。

できると思う。
周りの影響を、環境をコントロールすること、それは全て自分を知ることから始まる。
自分の知覚を磨き、その感じ方の方向性を認識することによって、
相手の、周りの及ぼす自分への影響を感じ取ることができる。
そしてその影響が自分にとってポジティブなものなのか、そうじゃないのかを把握し、
その影響を最大化するか、維持するか、弱めるか、絶つか、選択をする。

一つ言えること、それは鏡を意識して自分の像を作っていくことは間違っているということ。
誰にどう見られるかなんてものは統一された基準なんてものはないから、
そこをコントロールしようとすることは不可能なことで。

決して「なりたい自分」が「こう見られたい自分」になってはならない。

周りの影響を、環境をコントロールすること、それは全て自分を知ることから始まる。
自分の知覚を磨き、その感じ方の方向性を認識することによって、
相手の、周りの及ぼす自分への影響を感じ取ることができる。
そしてその影響が自分にとってポジティブなものなのか、そうじゃないのかを把握し、
その影響を最大化するか、維持するか、弱めるか、絶つか、選択をする。

変わり続けて、変わらぬ自分でいるということ。
かつて100の自分のうち100知ってくれていた友達は、
自分が変わることでその友達が自分のことを知ってくれている度合いはどんどん減っていく。

たとえその知っている度合いが10とかに減ってしまってもなお、
やっぱりお前はおもろいやつだよ、って言われたい。
その10の濃さをどんどん濃くしていきたい。
その10だけで輝きたい。相手の心をつかみたい。
それはつまり、たとえその知っている度合いが10とかに減ってしまってもなお、
その10の中に自分らしさを、自分の一番の輝きを残していたいっていうことなのかな。

そしてそこを共有できればいつだって100知り合っていたあの頃に戻れたら。

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