【あなたはどれ?】3パターンの幸福思想から考える幸せな人生〜そもそも幸せとは〜

2020/12/13

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この記事でも書いた通り、一人ひとり考え方は違うけど、「どうなったら幸福なのか」に関しての感じ方(今後これを「幸福思想」と呼びたい)に関しては、大まかにいうと3パターンに分けられる。

これは、言ってしまえば現代の人々が「そもそも幸せとは」と考えたときにいきつく3つのパターンであると言っても過言ではない。

・社会的存在としての人間の幸福(現代社会のスタンダード)

・生物的存在としての人間の幸福(社会的存在へのアンチテーゼ)

・主観的存在としての人間の幸福(現在盛り上がっている。人間起点の発想)

では以下、具体的にそれぞれ見ていきたい。

社会的存在としての人間の幸福

「平和的安全と基本的人権(自由と平等)をベースとし、社会的進歩と生活水準の向上を是とする考え方」

最近の若者とかだと共感する人はあまりいない気がするけど、間違いなく現代社会の幸福状態を考える上で大きな影響を及ぼしている考え方。

前提として、現在の世界においては、第二次世界大戦、冷戦を経て、欧米的な資本主義が価値基準・思想のスタンダードとして据えられている。

そして、その価値基準・思想の根源となっているのが西欧哲学であり、その潮流の最先端こそが現在の国連や先進国国家の政治思想になっていると言える。

政治思想とは、人民を治める方針のようなものなので、それを見れば、どのような状態が是とされているのかがわかる。

その理想状態を最も示していると思われる国際連合における、憲章の前文を引用したい。

「われら連合国の人民は、われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和および安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。よって、われらの各自の政府は、サンフランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。」

国際連合憲章前文

少し長いが、太字の部分が理想状態として定義されている状態と言える。

したがって、現代社会におけるスタンダードな幸福、つまり社会的存在としての人間として規定されている幸福とは、以下の要素から成り立っていると言えるだろう。

・基本的人権(自由と平等)

・社会的進歩と生活水準の向上

・平和的安全

この辺りはまさに小中学生の社会の授業などで学んだ内容とも近いので、かなり理解できると思うし、これらに関して納得する人も多いのではないかと思う。

生物的存在として人間の幸福

「メインストリームの中で幸福を感じられない人たちが個別的に選択していく幸福の考え方。往々にしてメインストリームへのアンチテーゼとして、人間の生物的側面や感情的側面を起点として発展していくことが多い」

これらは、現在では上述した西欧的資本主義のアンチテーゼとして広がっていくことが多く、第二次大戦、冷戦まではファシズムや社会主義として一国家の政治思想の根本になることもあった。

現在では、先進国内における団体の思想やムーブメントとして表出することが多く、事実としてこれらを支持しているのは、宗教団体や脱成長主義者たちである。

ここまで書くと、ファシズムや社会主義のベースとなっているような考えとして忌避されそうだが、あくまでファシズムや社会主義は一例であり、有名なムーブメントとしては、1960年代のヒッピー運動だったり、ロック音楽の源泉などもここにあったりする。

それぞれ生み出した結果や思想の厳密な方向性は異なるが、ここでは、上述した「社会的存在としての人間の幸福」をメインストリーム、スタンダードとして、そこに対するアンチテーゼ、そこから離れたサブカルチャー、アンダーグラウンド的性質としてまるっと定義したい。

したがって、かなり粗く雑になってしまうが、今回の記事の目的から考えたときに大事なのは、これらの思想たちがここまで大きなムーブメントになる上で、人々を巻き込むことができたという事実だからだ。

これらの思想の共通項は何かと考えたときに、「生物的存在としての人間の幸福に注目している点」ではないかと考える。

まず、資本主義のアンチテーゼ的な角度から考えたときに、資本主義が往々にして非難されるのは「富の偏在、格差、歪な再分配設計」や「社会的進歩に伴う環境的犠牲」、「競争原理の中にある弱肉強食」のような要素があげられる。

これらを非難するのは、何らかの理由で資本主義というメインストリーム、スタンダードの物語の中で生きることを望まぬ人、生きることができない人であることが多い。

彼らはスタンダードの中で主役として生きられていないと認識し、社会システムを非難するとともに、自分自身の現状を投影、肯定、発展させていくような幸福思想を選択する。

したがって、「生物的存在としての人間」に注目する思想は、彼らの非難を支え、集約し、代弁するような、セーフティネット的、拠り所的なところからだんだんと広まっていくケースが多い。

したがって、これらの思想や幸福思想は、高度にシステム化された現代社会や資本主義に対して、人間の生物的側面や感情的側面に立脚するケースが多い。

例えば、ファシズムが台頭したのも、第一次大戦後の社会不安から始まっているし、身近なところで言うと、日本における80年代、90年代に経済成長に社会が活気づくなかで受験戦争などに抑圧される若者の自由を叫ぶカリスマとして時代の寵児になった尾崎豊の思想や、バブルから崩壊後の社会不安を救いとったオウム真理教の思想、現在の先行きの見えない時代における若者の憂鬱な気持ちを代弁したような歌詞で人気を博しているBillie Eilishの思想などが挙げられる。

まとめると、「生物学的存在としての人間の幸福」は、その方向性は多様であれ、基本的にはマイナスからの解放を起点としており、どれも資本主義・現代社会というメインストリームの中において、社会的存在として、幸福をつかめない多くの人々の幸福を救い上げる存在として確実に機能している。

主観的存在としての人間の幸福

「社会の中の一人、生物の中の一人という視点からの逆算ではなく、一人の人間という主観的存在の、その個人の幸福思想を一人ひとりが構築し、社会に接続させていくという考え方」

この考え方は、未来の社会における幸福思想のスタンダードになるのではないかと考えており、このブログもこの考え方をベースに作っている。

なぜ未来の社会の幸福思想を考える必要があるかで言うと、現在の社会システムは老朽化しているからだ。冒頭に述べたとおり、現代社会は第二次世界大戦後に作られた社会システムや幸福思想を中心とした体制が中心となっているものの、その体制が作られた当時から数十年が経ち、大幅に状況が変わっているにもかかわらず、根本となっている体制は変化がない。

具体的にこの数十年で最も変わった部分だと、先進国において「ほとんどの国民の人生が、当たり前に人間的生活を送れるようになったこと」ではないかと思う。

日本で生まれ育った人ならほぼ間違いなく、基本的人権と成熟した社会的進歩のシステムのもとで平和的に安全に生まれ、育つことができるようになっている。

つまり、「社会的存在としての人間の幸福」が満たされる要素は基本的に用意されている状況が整っているのだ。

これは非常に素晴らしいことで、何をするにしてもこの土台は間違いなく必要だと考える。また、まだこれが満たされていないような途上国の人たちもいるのだから、この思想は間違いなくこれからも有用であり、有益ではあると思う。

ただ、歴史は先に進む。土台が固まり、人々が自由に自らの人生を生きられるようになった今、先進国の人々は「社会的存在としての人間の幸福」が当たり前となっている今、その上で「何があれば幸福は満たされるのか」というのが次なるテーマになっている。

「労働は趣味になる」だったり「好きなことをやることが仕事になる」のような考えはまさにこの文脈の話であり、そもそも「幸福とは何か」「どうやったら幸福になるか」といった問いこそがこの文脈の最たる例である。

そして、その解として「主観的存在としての人間」にフォーカスを当てるという考え方が注目されている。

つまりは、「社会的存在」に注目すると、社会システムが成熟した今「社会全体で共通している解決すべき負」みたいなものがないから、現実的に個人が抱えている問題の解決策にはならないし、「生物的存在」に着目してしまうと個別具体化されたアンチテーゼ的思想が乱立して社会が混乱してしまう。

そこで、「主観的な存在そのものが正しい」と肯定し、それぞれの個別具体的な幸福追求行動が社会的な発展、善とリンクするようなシステムを構築することが、社会の新たなメインストリーム的として正しいのではないかと考えている。

こうした、個人起点、人間起点の発想法は、会社組織では「ティール組織」と呼ばれており、思考法では「デザイン思考」という形で表出していると考える。

ただし、基本的に個人起点や人間起点で発想及び制度設計をしていくためには、個人の自由を担保し主観的な存在そのものを肯定・支援することで、ポテンシャルや能力が最大化され、社会・組織的な効用も最大化される必要がある。

つまり、社会や組織にこの考え方が浸透するためには、「そもそも自由を与えたときに自らの意志で自律し行動できるのか」ということ、そして「個人が自律し行動することによって、組織を規律し行動させた時よりも成果は最大化されるのか」という二点が問題になってくる。

それは非常にハードルが高いことだし、そもそもそれを望まない人も多いだろう。また、個人のポテンシャルを最大化するテクノロジーの進歩とその活用法の浸透というのも具体的なハードルとして残っている。

ただし、個人レベルの話で見たときに、この考え方で生きていくことはこの混沌の時代を生きやすくするために非常に有益であると考えているし、幸福思想においても人間に着目した発想法は注目されており、行動経済学やポジティブ心理学と呼ばれる学術領域において研究が進んでいる。

まとめ

以上が、現代社会において人々が自らの幸福を考えるときによりどころにする大まかな方向性であると考える。

簡単にいうと、

「社会に寄せるか」(社会的)

「競争から離れるか」(生物的)

「超越するか」(主観的)

という三択である。

どれを選ぶのも自分次第だし、それを選んだとしても正解などないのだから、自分はこれを選んだのであるという確固たる意思と自信を持つことが何より大事だ。

それが他人と比較することなく、自分の幸福の定義を持ち、その幸せを追求することにつながると思うから。

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