大学生活の意味〜学びの観点から〜

2018/09/09

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学術の世界に面白みを感じている自分がいる。

大学の意味なんてものを問う人は多くいるし、第一勉強がおもんないと思っている人も多いと思う。
自分もそんなことを考えていたこともあった。
けども、今は大学の本分である「学び」が第一に面白いと思えているのだ。

中学校、高校と勉強なんてもんはまったく面白くもなんともなかった。
が、しかし、大学における学びというのは非常に面白いと思っているのである。

なぜそんな違いが生じたのか。
まずそれらの二つの学びの種類には本質的な差異が存在する。

「学び」の種類の違い

中高生としての本分は「勉強すること」だと考えている。
一方大学生としての本分は、「学ぶこと」、「学問をすること」であるが、
中高生にとってのそれが「自分の人生の道しるべを決めるための思考力と知識的対応力をつける」のに対して、
大学生にとってのそれはざっくりというとそれらのものに対しての自分の位置付けは、「中高時代につけた力を応用して自分の人生の道しるべを決めること」である。

これがどういったことかというと、
中高生の頃は考える力とその考えの基となる知識をつけるために、一見意味なさげに思える、「社会的に意味づけされた必要と思われること」をインプットすることを強制されるということであるが、大学生においては社会的に、外的に、意味づけられた学びから抜け出て、自分で仮設、課題、疑問を立ててそれを解決していくために学んでいく。それはつまり、自分で内的に意味づけたものを証明していくことでである。
その学びは人生における、自分の生き方を検証する作業にも似ている。

「(ある問題に対して)自分ならばこう解決する」、「自分はこんな考え方で世界を捉える」、「この考え方はおかしいと思う。自分はこれだと思う」。

そんなものを自ら創造してそれを検証していくのである。
授業を通じて、本を読んで、論文を読んで、人々と議論して、実験して。
それが大学での学びだと思っている。
このプロセスの中で、また一段と人々は自分を知り、人間を知り、社会を知り、自分の人生を決めていく。
そのために大学の学びはある。
自分の思うままに考え、学び、検証するという自由が許されているのである。

それは自分にとっては非常に面白いことだし、自分の人生のために無駄うち含めこれほど存分に時間を使えるという幸せはない。

ではそれを認識した上で自分はどうこの時間を使うのか?

編入の関係で1年卒業が伸びたので、残り2年間の大学生活。
それをどう自分は活用するのか。

以前の大学に在学していた2年間は自分にとって「無駄うち、トライアンドエラーを多く繰り返すことで自分の可能性を広げること」がテーマだった。

自分の未来を考えながら、ふらふら学外活動に勤しんで、バイトして、サークル行って、飲んで、遊んで、寝て、好きなことして、時々授業を受け、そんな中で自分のしたいこと、すべきことが見えてきた。それが「社会的芸術構想」である。
そこから大学生活が今までの面白さとは違った、本当の意味で面白くなった。

それを学術面でもっと追い求めて、検証していきたいと思ったし、学外活動でも福岡よりも恵まれた、刺激のある環境で実験してみたいと思った。
だから東京に来た。

上述の通り、自分にとって大学生活は学内活動、つまり「学び」も、学外活動も、すべて、
「自分の人生の道しるべを決める」ためにあるのだから、それに忠実にやっていくしかない。

「今を全力で生きる」なんていう自分の21歳の目標も、検証すべき道しるべが定まった状態で東京に来て、
1年余りを地固めに使った上だからこそ立てることのできた目標だもんね。

だからやっぱり「今を全力で生きる」。
「社会的芸術構想」の学術上での検証、社会上での実験をすべく。
それは自分のやりたいことをとことんやるということであるということであり、
そのために必要な力をつけるということだ。それは大変だけど幸せなことである。

自分は残りの2年間の大学生活をそうやって生きる。
やりたいことを、思い切り。幸せに、最高に楽しく。
そして自分の人生の道しるべ、「社会的芸術構想」を理論、実践共に構築する。

まとめ

タイトルに戻ろう。
このエントリーは大学生活の意味を学びの観点から見ていこうという試みであった。
結局、学びという観点から見た大学生活の意味は、「自分なりの考え方を追い求め、検証することで人生の道しるべへと昇華していくことにある」。

大学生活や大学での学びに意義を感じることのできていない人に自分ができるアドバイスとしては、「まずは思い切りなんでもやってみろ」ということしかない。一日中暇なんて日は作ってちゃもったいない。そうやって動いて、時々ぼんやり考える中で自分の中での考えや疑問は初めて浮かんでくるものだと思うから。そしたら初めて大学生活の本当の意味、その考えや疑問を検証できるということの尊さに気付くだろう。

そんなことを言う俺もやっとそのことに気づけたばかりで、大学生のうちにまだまだ自分の中でのぼんやりとした考えでしかない「社会的芸術構想」を社会的に意味あるものとして学術的に証明するという仕事が残っている。

それが本当に自分の考えが自分が人生をかけてやっていく価値のあるものなのかどうかを知る方法だし、それが社会にとって、周りの人にとって良いものなのかを知る方法である。

それを知れた時自分の中で何のために生きるのかがきっと、今より少しははっきり見えてくると信じている。

※自分が以前読んで、非常に共感した関連記事をのっけておきます。

参考記事

博士課程で学んで、人生に役立っていること

博士課程の話の続き

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