またはじめようか

2018/09/09

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これまでサマーインターンで学んできたこと、主にマインド面について書いてきた。(これとかこれ

もちろんスキル面で学んだことも大いにあったけれども、それは自分なんかよりも社会人としてやってきた方の話の方が説得力あると思うしそういったものは巷に溢れているので割愛。自分が書く必要性はないということですね、はい。

今後も短期インターンにいく可能性はあるので、またそれから何か学んだならばここに記したいと思ってはいますが、なんだか、ありがちなワーク形式のものからはもう学ぶことは同じことのような気がしてる。なんとなくね。

これまで書いてきたマインド面での学びの集大成として、ここに記したいのは、個人的にすごく大きかったこと。

それは、

「無知から解放されて、自分の無力さを痛感したこと」

そして、その結果として今、

「生存者バイアスから解放されて、今一人のただの人間、凡人として、ゼロからまたはじめられる気がしていること」

それが一番自分にとって大きかったなあ、と。

 

「生存者バイアス」なんて書き方をしたけれど、その言葉を知ったのはこの記事から。

 

「生存者バイアス」とはどういうものなのかというと、

以下引用

苦労して立身出世した人が、自分の目線だけで成功体験を語ることだ。時には、他人の不幸を努力不足と判断してしまう弊害もある。有名なものではワタミの創業者による「無理というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」といった発言がある。

ぐさっときた。

自分の中で大学に入ってからの疾走、そして成長度合いにはある程度満足していたのだと思う。今になっては。

起業体験したりバックパックしたり、意識高くいろいろやってみたり、一方でサークルもバイトも思いっきり楽しんでいろいろ学んで、その一方で大学でも自分が熱中できる研究テーマを発見することができたり、編入に成功して東京に来れたりもした。

母校で後輩に向かってエラそうに自分の体験を話すようにもなったし、大学では先輩とも夢を語り合って、後輩には「ついていきたいです」みたいに言ってくれる人もいて、先輩からも後輩からも一目置かれていたと思っていた。

東京に来てからも、周りに恵まれて楽しく日々を送れていた。松下村塾の一期生に受かってボコられては長期インターンしてちょっと成果残して団体立ち上げてみたり、社会人の方とたくさん話したり、また海外に行ったり、女の子と遊んだり、気の置けない仲間たちとフラフラ飲んだり、遊んだり。

そんな日々の中で、気がつくと、なんだか自分はすげー偉くなったような気がしてた。

そして意気揚々と臨んだサマーインターン。

選考に向けて対策なんてものはほとんどせず、ありのままの自分で勝負した。

たくさん落ちた。

そこでもなんだかおかしいなとは思ったけど、そんなものなんだろうと思っていた。webテストやケース問題なんかは対策不足みたいなものがあったかもしれないし、GDにも型がありそうだしで、まさか自分に非があるなんて思いもしていなかった。

事実、面接ではほとんど無双していたから。

そんな中、難関と呼ばれている企業のインターンに合格をいただいた。

ホッとした。

「やっぱり俺は選ばれしものなんだ!」

そんな自尊心が守られた気がしていた。

そして迎えた本番。

これまでにないほど、ボコボコにされた。

自分の不甲斐なさが悔しくて、悔しくて。

泣いた。

泣いても何も変わらなかった。

そこにいたのは変わらず無力な自分だった。

そう、自分はもとから無力だったのだ。

苦労して立身出世した人が、自分の目線だけで成功体験を語ることだ。時には、他人の不幸を努力不足と判断してしまう弊害もある。有名なものではワタミの創業者による「無理というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」といった発言がある。

俺はちょっと頑張っただけ。ちょっと自分で考えただけ。ちょっと他の人よりも目立っただけ。ちょっと他の人よりも話すのが上手で、夢を仰々しく語れただけ。勢いでそれを実現させようとやってみただけ。

本当、それだけだった。

何も結果を残していないし、自分の中にほとんど本物の実力として蓄積されてはいない。

映し出された虚像は実像よりも大きく、それは周りの一部の人だけでなく、自分さえも騙してしまっていた。

今回のインターンでは、自分が見ていた虚像と実像のギャップがしかと突きつけられてきた。

俺は、何にもわかっていなかった。

悔しかった。

インターンのメンターの社員さんが何度も夢に出てきた。

どうしたらいいのかわからなかった。

足りないものはわかっている。

でもそれを埋めるためには、これまでの自分の生き方や想いを一度ゼロから見直す必要があった。

俺はなんでここにいるのか。

俺は一体何がしたいのか。

俺はこれまで何をしてきたのか。

俺は今なぜこんなにもショックを受けているのか。

俺はこれからどうあるべきなのか。

これまでの、生き急いだ日々、駆け抜けてきた日々とは反して、廃人のような、何もしない生活が続いた。

そんな自分に嫌悪感を感じてしまう自分がいた。

これが今までの俺が俺である所以だった。

先に、先に。

そう思えば思うほど今何もしていない自分に嫌気がさす。

そしてとりあえず考える、足を動かす、何かする。

進んだ気になってしまう。

自分は進んでいるんだという勘違いから、実像と虚像の大きさはどんどん食い違っていく。

実際は何も進んでいないから。

先に、先に。

そう思っても立ち止まる。

考えて、仮説、アクションプランを練って実行、検証。そして修正。

そうやって確実に進めていくんだ。

そして実像と虚像をバランスさせていく。

「自分は遊んでいる」という認識を持つこと。

遊ぶ時は遊んでもいいんだ。

進んだ気になりながら惰性で遊んでいるという状態が一番良くない。

やる時はバシッとやって、遊ぶ時はバシッと遊ぶ。

何気ない日々も、素晴らしいから。

それに気づくと、何気なく生きている人々も愛しくなる。

優しく、穏やかに今を生きられる。

純粋に、自分の根源を見つめて。

興味や愛着の、その根源を。

そうなれば「生存者バイアス」から解放されたと言えるのかもしれない。

そう、俺はただの一人の人間で、凡人に過ぎない。

ゼロから始めよう。

今を見つめよう。

一歩一歩。いくしかないんだ。

力は手段でしかない。目的は常に、純粋に帰結する。

「母のように、聖者のように、子供のようになれはしませんが、

君のもと、パッと咲く花になりたいと思うのです。

裸になって無邪気になって、ゼロに進んで、またはじめようか

「大人になって、自分を知って、愛に気づいて、また夢ができた。

僕らしくパッと咲く、花になりたいと思うのです。

ただそうであることに決めたのです。」

またはじめようか/北川けんいち

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