ブログ再開します。〜新しい時代の幕開けに添えて〜

2018/09/17

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将来自分たちの子供たちやそれよりもっと先の世代が歴史の授業で、

今この時代について教わる時に彼らはどんな風にこの時代を教わるのだろう。

 

今20代くらいの自分と同じくらいの世代(1994年生まれ)の人たちであれば、

生まれた時から日本は常に「失われて」いたわけだし、

ゆとりとか悟りとか言われていたわけで。

最近やっと年下と話すたびに「俺たちの世代」というものが存在していたことに気づく。

 

それでも、「今俺たちがいきているこの時代」以外に比較対象もなく、よくわからなくて。

それでも、なんだか生きづらいなとか、将来が不安だなとか、みんな思ってるわけで。

それでも、これからの未来を、社会を作っていくのは他でもない僕らなわけで。

どうしたらいいんだろうと思った時に、歴史を客観的に振り返ることにした。

自分はその結果、これからの時代は「人間が、歴史上もっとも人間らしく生きることのできるようになる時代」だと結論づけた。

過去人々は単なる生物として短い命の中で、

本能的、生物的、短絡的欲求のみに従っていたりとか、

第一次産業革命直後のように社会という存在の前に奴隷のように働いていたりとか、

そんな時代を経て、今やっと生物的な「ヒト」ではなく理性的な「人間」として生きられるようになったのではないかと思うのだ。

 

それはつまり、「生きる」ということの主導権が「個人」の手にやってきて、

一人ひとりが自らの意思に沿って「幸せ」を定義し、それを追求できる時代だ。

よく言われている「個人の時代」、っていうのは確かに一面的で、

正しくはない部分も含んでいる。

ただ、新しい時代のことを名付けるのであれば、

「本質的な時代」というと、正しい気がするんだ。

 

年上の大人と話すたび、「難しい時代だ」とか「最近の若い奴は」とか「不確実性が」、「VUCAの時代だ」なんて言い出す。

そんなこと言われても知らない。

俺たちは俺たちで、今この生きることのできている時代を、時間を、瞬間を、

最高なものにしていく以外ないだろう?

平成も気づけば終わる。

 

自分たちが生きたこの時代が、

「個人一人ひとりが自分の手で自分の幸せを実現できるようになった時代」

として形容される、そんな時代になるように、

新しい時代を切り拓くためのブログ「of Life」、再始動します。

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