早わかり:この世の中の成り立ちと構造

2020/12/13

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個人的には、歴史はすべての人が学ぶべきだと思っている。

この世界にヒトの原型となる生き物が誕生してから、様々な歴史を経て今の社会が成り立っているとした時に、その成り立ちを理解することは、そもそもの世の中の構造を理解することになり、それによって目の前の現実や社会のシステムに対しての考察が複眼的になるから。そして何より、自分が何をすべきかがわかるから。

荒掴み:この世の中の成り立ち

この記事でも軽く触れたが、僕たちの生きる現代社会に至るまでには、大きく分けて以下のような流れがあった。

①ヒトの誕生
———————原初的テクノロジー(火や言語、農耕)の誕生
②人間への進化(宗教中心的社会)
———————産業革命
③科学中心的社会

以下、過去記事の引用。

根拠としての時代の流れ

「ヒト」という生物が誕生し、社会的存在として「人間」になり、
助け合うこと、工夫すること、で、
自然の猛威や猛獣、別のより強い類人猿など、
自らよりも強いものから生き延びてきた。

その助け合いや工夫のベースとなる知能は、
生活の安定や人口の増加、言語や文化を生み出し、
やがて人々は国家を作った。

最初国家は宗教を元に結束された。
その流れは渾々と続いていったがやがて、
科学技術を覚えた。
科学技術は人々の生活を変え、
科学技術を支配する者の力が強くなった。

国家とその支配者の関係は強くなり、
宗教の力は弱まった。人間は宗教ではなく科学技術を選択したのだ。
それから、科学技術は人々の生活をアップデートし続けている。

そして今、ついに第四次産業革命とも呼ばれるタイミングに来た。
科学技術の発達は人々の生活を変え、寿命を延ばし、距離や時間の概念を変えた。
資本主義が競争を扇動し、その恩恵や変化は人々に低価格で行き渡っている。
結果として、個人の人生を主導する主体は、
国家から会社組織へ、そして個人へと変化している。
個人の持ちうる科学技術の端末さえあれば、生きてゆけるようになっている。
自分の、思うように。

学び:この世の構造

上記の荒掴み的な社会の成り立ちから、大体以下のようなことが考察できる。

人間の本質

野生の生き物である「ヒト」として自然とともに生きていた時代から、だんだん文化や社会が発達して「人間」となっていったわけだが、そもそも「理性」というものは、かなり近代で発明された概念である。

つまり、人間の本質は「感情」なのだ。

人間が集まって、社会や文化が形成されても、産業革命に至るまでの社会は非常に労働集約的でほとんどの人々は生きるために働くという状態で生きながらえ、常に社会の富も権力者に偏在していた。そしてその社会を支配していたのは宗教的な規範であった。

そもそも宗教の効果として、「わからないものに説明をつけて心理的安全性を担保する」というものがある。宗教的な規範をもとに構築された世界においては、情報や待遇の格差こそが支配の源泉であり、現代社会に生きる自分たちからしてみれば全く非合理かつ不平等であったわけだが、
「神が見ている」「超自然的な力によって運命は決まっている」「王は神の子であり言うことは絶対」のような、ストーリーを作り上げ納得感を持たせるような訴求をすることで人間の不満や不安をコントロールし、社会をまとめてきていた。

そもそも、人間の脳はほとんどこの原初的な時代から変わっていないと言われているわけで、現代社会においても本質をコントロールし、組織・社会をまとめ上げていく手法は未だに有効である。よくよく見てみると、普通にそこらへんにこの考え方などは応用されている。

人間の根本は感情であり、理性の訓練を怠れば感情に流されてしまう。

変曲点を生み出すテクノロジー

人間の身体は一つしかないから、その状態で価値を生み出そうと考えると、労働集約的な施策に行き着く。

労働集約とは、1=1的な考えであり、1の労働力を投入し、1の結果を得るというようなもの。

ただし、それでは永遠に生活水準は上がらないし、社会は成長していかない。それを解決し、ここまで社会を成長させてきたいのは間違いなくテクノロジーである。

例えば、水の入ったバケツを運ぶ時に、両手に一つずつしか持てないわけで、何も考えずに運べば合計2つが限界になるが、木の棒を持ってきてその両端にバケツをくくりつけて両手でそれを持つと合計4つ持てるようになる。

まさにこの木の棒と、木を持ってこようとするその考えこそがテクノロジーであり、人間の生活水準と社会を進化させる。

現代社会においてはそれほど単純な話ではなくなっているが、根本は揺るがない。AIとかDXとか言われているけど、すべて人間の生活水準と社会を進化させるために現状の仕組みをテクノロジーで変革しようとする試みである。

科学技術、論理と理性を拠り所にした社会の仕組み

「人間の本質は感情である」と書いたが、産業革命を機に人間は「感情よりも理性を中心とした社会を構築することで徹底的に社会をグロースさせるよ!」という選択をしたと思っている。

つまり、現代社会においては「理性>感情」なのである。

人間の本質は「感情」であるにもかかわらず、社会の成長のために「理性」を中心として運用している。

これはいろんなところでジレンマを生み出している元凶だし、この構造を理解しておくことは、生きていく上でかなり違いを生むと思っている。

そもそも価値の尺度をお金という形で可視化しようとした試みこそがまさに論理を拠り所にした考え方であるわけだが、例えば年収ランキングなどに上位に位置する職種は基本的に論理や理性を武器にした職種なわけで、この社会における強弱は腕っぷしや心の優しさではなく確実に論理や理性によって決まる。

基本的な考え方としては、一定のラインまではこの社会のルールに則って意思決定をしていくことが自身の幸福度の向上に寄与するが、感情面での感情面でのメンテナンスも重要となる。

つまり、社会生活においては「理性」をベースに生きていかなければならないので、本来の「感情」的な側面は蔑ろにされる。おそらく今後どれほど社会が進化、進歩、成長しようと人々は同じ悩みでずっと苦しむ。そしてその苦しみの解決策として宗教や人間的つながり、趣味(エンタメ)といった心理的安全性のインフラの優位性は維持されていく。

今後の社会

基本的な構造は以上の通り、この社会は論理をベースに成長しており、今もその体制はなんら変わっていない。

ただ、テクノロジー自体は常に進化しており、人間の生活水準を向上させているわけで、少し様相は変わってきている部分がある。

具体的にいうと、以下の通りである。

・テクノロジーはIT領域で進化を続けており、その結果生産性やスピードは飛躍的に向上。対して重厚長大な事業モデル、組織モデル、の陳腐化が進む。

・テクノロジーは、世界中の様々な情報への瞬時なアクセスを可能にし、結果として人々の意見や考え方の多様化。情報格差がなくなり、国家や組織の個人への影響力は右肩下がり。

・それに伴い、科学的社会における圧倒的強者であった「高学歴層」の中でも、「主観性が強い(自身の感情への自信が強い)」「リテラシーが高い(情報感度やITスキル)」「知能が高い」といった傾向を持つ若者がIT、スタートアップなどの世界に挑戦。

・国家や組織の影響力が下がり、一方で上がっていくのは個人の力。現に、個人事業やフリーランスという人々が増えてきている。また、生産性が高まり余暇が増えることにより「個人として自分は何が幸せで何を求めているのか」といった内的探究が進む。

今後の社会がどうなるかはわからないが、言えることとしては、
「今後もテクノロジーとグローバル化、時代の個人化は進んでいく」
ということである。

まとめ

ここでまとめたことは一部だし、自分の主観や解釈も大いに入っている。

ただ、事実としてこれまでの歴史があって今があるわけだし、今もなお常に社会は変化し続けているのだから、過去を学び現在を知り、未来に生かしていくことは非常に有意義なことであると考える。

その一助、きっかけとしてもらえればすごく嬉しいです。

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