年賀状

2018/09/09

Pocket

今年もいよいよ1週間を切りました。
そんな、年の瀬の時期になると、そう。
日本人なら年賀状のことが少しは頭をよぎるんじゃないかなと。

僕もよぎりました。
僕は実家に住んでいるので年賀状はいつも沢山買ってあって、
それを必要な分だけささっと取って、書くんです。
その必要な分は高校ぐらいまでは年々増えていっていたんですけど、
高3のとき、一昨年は受験もあってほとんど書かなくて。
その時期は同級生みんなそんな感じなんで、くる年賀状も少なくて。
で、それを越えて昨年はぐっと減って。
っていうのも、毎年毎年送っていたんやけど、一年送らんかったら、
もう送らんでええんちゃうかなて思ったり。保育園の先生とか、そこらへんね。
何回か引っ越してるし、結構関係が薄くなってしまった友達とかもいてて。
惰性で、義務感で、さみしさで、書いてた部分もあったんかなあ。と思ってね。

この前書いた記事にも関連するんけど、
やっぱ離れていくもんやん?人って。距離も、心も。
けど、だから、だからこそ、
ひとつひとつの出会いを大事にしたいなーって思うし、
ひとつひとつの出会いが尊いんやと思うわけね。
今の自分があるのは今まで出会って別れてきた沢山の人がいるから。
その人たちが残してくれたやさしさがあるから。やと思うから。
惰性で、義務感で、さみしさで年賀状を出すんはやめた。今年も。
だから枚数はすごく少ないけど、
遠くはなれててもありがとうを云いたい人たちに送った。
他の人はLINEなり、メールなり、Facebookなりがあるし、
気持ちは、言葉は、伝えられる。
むしろそっちの方が安いし早いし簡単やし便利やし。

じゃあ、年賀状はなんなのか?

自分も高3までガラケーやったし、それも普通やったし、
育ってきた青春時代はゲームとかも主流になりつつはあったけど、
外で遊んだりがまだまだ普通やった。iPodとかもなかった。
やから自分らの世代を最後のアナログ世代やったんやないかなって、
勝手に思ってるんけど、デジタルにはデジタルの良さがあり、
最近はそればかりが注目されがちだけど、
アナログにはアナログの良さがある。時計の話じゃないですよ。笑

年賀状は日々のバランス感覚を整えるアナログ側の要素。となりつつあると思う。
たまに外に出て遊んでみたり、半身浴したり、コンサート見に行くんと同じ。
速くて便利で、でも疲れる、そんな日常の中の素敵な非日常の体験。
素敵やない?わくわくせん?
送る側にとっても。送られる側にとっても。

そんなことを思いながら、相手のことを想いながら、年賀状を書きました。
っていう話でした。

もう一年も、おわるんやね。

Pocket