【ジェネラリスト論】「とりあえずやってみる」が全ての始まり
俺、自分のこと、典型的な三日坊主やと思ってる。
責任感とかは、ないわけじゃないんだけどそれよりも自分の心に従っちゃう。
これまでいろんなことに手出してきた。
旅、ギター、音楽制作、デザイン、学生団体、就活、インターン、サークル、バイト、ファッション、ブログ、プログラミング、読書、映画、、、
どれも極めるくらいまでにいってるものはないけど、どれももう完全に飽きてしまって終わってるってわけでもない。
「これいいじゃん!」っていう心が生まれたらすぐにやってしまう。
続けると飽きてくるし、積み重ねていくのは大変だし、そうこうしている間に気が変わって新しい面白いものをみっけてしまうから、途中で終わってしまう。
他にステークホルダーがいたり、大好きな人が困っていたり、自分で始めて人を巻き込んだことなんかじゃない限り、大体そう。
でも冷静に考えると、これらの始めたことは時を経てぐるぐる回っている。
例えば、ギターに一時期ハマって、飽きてもまたいつかやりたくなる。その時にはゼロからではなく、ある程度ギターを弾けるところからのスタートで、ただ弾き語りがしたいだけならすぐにできるようになっているのだ。
また、ポジティブに考えると、「とりあえずやってみること」で、俺は様々なものの基本や概略、エッセンスは軽く掴んでいることになるし、ある程度はその話題にもついていけるようになる。掴んだエッセンスは様々なところに応用可能だし、また始めるときは途中からのスタートになる。
三日坊主、飽き性も良く言えば「ジェネラリスト」なわけだけど、ジェネラリストのすぐ思いつくメリットとしてはやはりその守備範囲。デメリットとしては、器用貧乏になりがちなこと。
でも、この「とりあえずやってみる」ということはジェネラリストであろうとなかろうと良いことづくしなのではないかと思います。
基本的にやらなかった後悔なんてのとは無縁だし、勉強とかなんでもそうだけど、意外と始めるまでは一番大変なわけで、とりあえずでも始めてみると面白くて続いたりするし。何より、自分の中に蓄積されていく経験値が嬉しい。そして、それをこれからの人生でじっくり醸造していけると思うと、もっと嬉しい。
ただ、器用貧乏にならないようには、気をつけなくてはならない。「とりあえず」やってみたことも、表面化するくらいまで力をつけないことには意味はなく、表面化してからもその先が長いので。
自分がどのような生き方がしたくて、そのためにはどのように何を組み合わせて自分らしさを、自分の人生を、作っていくのか。
それが一番大事なことかと思います。
最後に、とりあえずやってみるサイクルを紹介します。
とりあえずやってみるサイクル
→やってみたいことは大体ファッション、かっこつけがスタート
→自分のものになる…飽きる?
→自分でコントロールできるようになる
→本当に好きなのかどうか、続ける価値はあるのかがわかる
→(続ける価値があると判断した場合)自分の人生にこれがどう生かせるのかということも見据えてやり始める(単なる趣味でいいやという場合もある)
→自分で選択できるくらい、自分のものになる
頭で考えてどうこう言う前に、やってみたらいいんじゃないかなと思います。
POPな思想家。誰よりも「どうやったら楽しく人生を送れるのか」ということを考え続けてきた自信がある25歳。エニアグラムは「楽天家」。右脳・感性ベースのポジティブ思考、青春とエモいもの大好き人間。めちゃ思考するけど深みにはまらないのが強み。その強みを生かして、考えたことを社会を良くするために形にしていきたいと奮闘しています。