「理想提示」としての芸術とは

2018/09/09

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俺、言葉っていうものを結構大事にしてて。

自分の言葉っていうのを大事にしてる。

自分だけのニュアンスや感覚を伝えるための言葉をチョイスしてるし、時によっては、作ってる。

時折このブログの中にも出てきた「理想提示の芸術」なんて言葉もその中の一つで。

今回はその「理想提示の芸術」という言葉について説明したいと思う。

「理想提示の芸術」とは

読んで字のごとく、「理想の状態を提示する芸術」と思ってもらって構わない。

この言葉の背景には、現実というものは常に改善の余地を残しており、芸術というものはその改善された先の理想状態を描写しうるものであるという認識が存在する。

その、芸術に存在する理想提示作用を強調して表現した作品のことを「理想提示の芸術」と呼びたいと思う。

「理想提示の芸術」の必要性

なぜここでわざわざその言葉を取り上げているのか。

それは、もちろんそれが必要であるからだという認識があるからであるが、なぜ必要であるという認識が存在しているのだろうか。

まず、どの観点から見てこの用語が必要なのかというともちろん、「社会的芸術」的な観点から見て、である。

社会的芸術というのはこの用語から派生していると言っても過言ではない。というのも、社会的芸術の概念は、理想とはかけ離れた状態にあるとされるこの現実世界により精神的幸福度をもたらすことによって、「芸術」という隔世された場所で描かれることに留まるのではなく、理想を実現させるということを目指す試みだからである。

長ったらしく難しくて申し訳ない。

簡単に言えば、「おとぎ話を実現させたい」ということなのである。

その実現に際して、芸術の理想提示という性質は大いに貢献するし、その芸術の効用こそが最も重要な社会貢献だと考えるからである。

したがって

これからは芸術の理想提示性に着目してエントリー書いてみたりしてもいいかなあと思ったりしてます。

美学を2年専攻して気付いた芸術の見方とその社会性と。

その答えが社会的芸術であり、理想提示の芸術であったということなのだから。

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